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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エゼキエル書5章

聖書日課 エゼキエル書5章(新共同訳 旧約pp.1300-1302)

 前章からのエルサレム滅亡の預言が続く。

「それゆえ――わたしは生きている、と主なる神は言われる――お前はあらゆる憎むべきものと忌まわしいものをもってわたしの聖所を汚したので、わたしもまた必ずお前をそり落とす。わたしは憐れみの目をかけず、同情もしない。お前の中で三分の一は疫病で死んだり、飢えで息絶えたりし、三分の一は都の周りで剣にかけられて倒れ、残る三分の一は、わたしがあらゆる方向に散らし、剣を抜いてその後を追う。わたしは彼らに向かって怒れるだけ怒り、憤りに身をまかせて、恨みを晴らす。そのとき、主であるわたしが憤れるだけ憤り、熱情をもって語ったということを彼らは知るようになる」(11~13節)。

 エルサレムの滅亡は、軍事力が弱いとか、経済力が無いとか、政治的手腕が足りなかったという理由で起こったのではない。彼らは、主なる神の「聖所を汚した」ために、主なる神によって滅ぼされた。つまり、主なる神への反逆の罪が、エルサレム滅亡の本質的な理由だった。

 罪は私達を滅びと死に至らせる深刻かつ恐ろしい問題である。しかし、私達は、このことをどれほど深く理解しているだろうか。そして、どれくらい真剣に受けとめているだろうか。

 ユダ王国の人々は、そのことを全く理解していなかった。彼らは罪の問題を真剣に受けとめようとしなかった。そのようなことより、彼らには、エジプトをはじめとする目に見える国々の軍事力や経済力の方が、遥かに重大なことだった。それ故、度重なる警告の声にもかかわらず、彼らは一向に罪を悔い改めようとせず、主なる神に聞き従うこともなかった。

 そのため、遂に滅びの日が訪れた。それは恐ろしいほど徹底的な滅びだった。そして、そこに、罪に対する主なる神の「怒り」「憤り」がどれほど深く大きなものであるかが明らかに示された。というより、ここまで来なければ、彼らは自分達の罪の深刻さを知ることはなかった。

 自分の罪を悟ることは、痛みと悲しみをもたらす辛い経験である。しかし、私達は出来るだけ早く罪を悟り、可能な限り早急に悔い改めて赦しと癒しをいただく必要がある。何故なら、私達は死がいつ訪れるのかを知らず、死んでしまえば二度とチャンスはないからである。

「わたしが怒りと憤りと激しい懲らしめをもってお前を裁くとき、お前は周りの国々の嘲りとそしりの的となり、教訓となり脅威となる。主なるわたしがこれを告げる」(15節)。

 イスラエルの人々の教訓と脅威を、しっかりと真剣に受けとめたいと思う。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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