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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 イザヤ書22章

聖書日課 イザヤ書22章(新共同訳 旧約pp.1092-1094)

 22章には、「いやし難いエルサレムの罪」という見出しが付けられた預言が記されている。

「その日には、万軍の主なる神が布告された。嘆くこと、泣くこと/髪をそり、粗布をまとうことを。しかし、見よ、彼らは喜び祝い/牛を殺し、羊を屠り/肉を食らい、酒を飲んで言った。『食らえ、飲め、明日は死ぬのだから』と。万軍の主はわたしの耳に告げられた。『お前たちが死ぬまで/この罪は決して赦されることがない』と/万軍の主なる神が言われた」(12~14節)。

「万軍の主なる神」が悔い改めを「布告された」にもかかわらず、エルサレムの民は、主なる神の声などそっちのけで、「飲め」や歌えの大騒ぎをした。これは敵軍に囲まれていたエルサレムが、何らかの理由で突然解放された時の出来事であろうと言われている。

 何故エルサレムは敵軍に囲まれるような事態に陥ったのか? エルサレムは自分達の罪と堕落のために敵に討たれていたものと思われる。つまり、この苦難は、彼らを悔い改めへと導くための主なる神からの懲らしめだった。

 それでも、彼らは主なる神に「目を向け」ることはなかった。

「しかし、お前たちは、都を造られた方に目を向けず/遠い昔に都を形づくられた方を/見ようとしなかった」(11節)。

 いつまで経っても主なる神に「目を向けず」、御前に悔い改めることもしない。目の前の現状さえ上手く行けばそれで良しとして、酒に酔い痴れる。そのような人々を見て、イザヤは深く心を痛めたに違いない。何故なら、やがて本当の「崩壊の日」がやって来ることを彼は知っていたからである。

「それゆえ、わたしは言う。『わたしから目をそらしてくれ。わたしは激しく泣く。あえてわたしを慰めるな。娘なるわが民が滅びたのだ。』混乱と蹂躙と崩壊の日が/万軍の主なる神から来る。幻の谷に、騒音が響き渡り/山に向かって叫ぶ声がある」(4~5節)。

 主の懲らしめに出会う時、私達は主の御前にひれ伏し、悔い改めて主に立ち帰らなければならない。それは私達が滅びないため、いや、私達が救われて祝福で満ち溢れる者となるためである。

「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい」(ヘブライ人への手紙12章11~12節)。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。あなたの大きな愛と憐れみに包まれ、今日も御前に引き出していただき、祈りを献げさせていただけることを感謝致します。

 主よ、もし明日あなたのところに帰らなければならないということが分かった時、私はどうするでしょうか。これまでと同じように聖書を読み、罪を悔い、あなたを告白し、あなたの赦しと栄光をほめたたえ、それをメッセージとしてまとめ、あなたが愛しておられる方に伝えることが出来ますように。また、自分を愛してくれた家族や隣人に心からの感謝を伝えることが出来ますように。

 そして、主よ、それが私の毎日の生活でありますように。いつあなたのところに帰らなければならなくなったとしても、毎日変わらず聖書を読み、あなたの御言葉に耳を傾け、あなたを告白すること、あなたが与えて下さったお一人お一人を大切にすること、感謝すること、それが私の毎日の生活を満たしますように。このことを思い出すことが出来たことを感謝します。

 今日もあなたの子供のお一人お一人と共にいて、今日一日を大切に生きることが出来るよう、助け、導いて下さい。

 感謝して、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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