聖書日課 エレミヤ書33章(新共同訳 旧約pp.1240-1242)
獄舎での長期に渡る拘留。いつ解放されるのか、生きて外に出られるのかも分からない日々。エレミヤの心は大きく揺れ動いていた。
その時、主なる神の言葉が再びエレミヤに臨んだ。
「主の言葉が再びエレミヤに臨んだ。このとき彼は、まだ獄舎に拘留されていた。主はこう言われる。創造者、主、すべてを形づくり、確かにされる方。その御名は主。『わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる』」(1~3節)。
絶望の只中で、「呼べ」ば必ず「答え」て下さる御方がいる。それは、大きな慰めであり励ましである。信仰とは、暗闇の中で主なる神を呼ぶことであり、祈りとは、まさにその呼びかけの中で、「隠された大いなることを告げ知らせる」主なる神の御声を聞くことである。
にもかかわらず私達は、「どうせ祈っても無駄だ」と困難の中で主なる神を呼ぶことを諦めてしまうことはないだろうか。苦しみが長引くにつれて、主なる神への期待から離れ去ってしまうのである。
しかし、この時エレミヤは主なる神を呼んだ。そして、確かに主なる神の御声を聞いた。
「見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう」(14~16節)。
信仰者の生涯は、このような主なる神の言葉に支えられてこそある。あなたは日々主なる神を呼び、主なる神の答えを求めているだろうか。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と恵みの中に握り、御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。
主よ、自分では背負いきれない苦しみと痛み、絶望の中にある者を、あなたを呼ぶ者として下さい。そして、あなたの御言葉を聞かせて下さい。あなたの祝福のお約束をお与え下さい。あなたの御言葉を今信じることが難しく感じる者を、あなたご自身が握り、あなたの祝福のお約束を実現して下さい。
そして、一人一人が、あなたを知り、あなたの偉大な御名をほめたたえ、あなたの御前に喜びの礼拝を献げることが出来ますよう、お導き下さい。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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