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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エレミヤ書2章

聖書日課 エレミヤ書2章(新共同訳 旧約pp.1173-1177)

 2章は、主なる神がイスラエルの人々に向かって、彼らの犯した罪について述べた預言である。

「主の言葉がわたしに臨んだ。行って、エルサレムの人々に呼びかけ/耳を傾けさせよ。主はこう言われる。わたしは、あなたの若いときの真心/花嫁のときの愛/種蒔かれぬ地、荒れ野での従順を思い起こす。イスラエルは主にささげられたもの/収穫の初穂であった。それを食べる者はみな罰せられ/災いを被った、と主は言われる。ヤコブの家よ/イスラエルの家のすべての部族よ/主の言葉を聞け。主はこう言われる。お前たちの先祖は/わたしにどんなおちどがあったので/遠く離れて行ったのか。彼らは空しいものの後を追い/空しいものとなってしまった」(1~5節)。

「わたしは、あなたの若いときの真心/花嫁のときの愛/種蒔かれぬ地、荒れ野での従順を思い起こす」と主は言われる。確かに、イスラエルの人々は、初めは確かに従順だった。そして、主への「真心」「愛」に満ちていた。しかし、やがて彼らは主なる神から「遠く離」れ、「空しいものの後を追い」、彼ら自身も「空しいものとなってしまった」

 一体いつからそのようになってしまったのだろうか? また、どうしてそのようなことになってしまったのだろうか?

「わたしは、お前たちを実り豊かな地に導き/味の良い果物を食べさせた。ところが、お前たちはわたしの土地に入ると/そこを汚し/わたしが与えた土地を忌まわしいものに変えた」(7節)。

 何とそれは、彼らの生活が安定して「豊か」になった時からだった。苦しい時、大変な時には、何とかそこから抜け出そうと主なる神に頼り、従ってきたのに、「豊か」になった途端、主なる神への感謝と従順を忘れ、自分達の欲望に従って勝手気ままな道を歩み始めていった。

 何と愚かなことだろう。そして、何と傲慢なことだろう。しかし、これは決して他人事ではない。私達にも、イスラエルと同じ愚かさと傲慢に陥って、いつの間にか主なる神から遠く離れてしまう危険がある。

 今あなたの心に主なる神への信頼と感謝が湧き上がっているだろうか? あなたは今、主なる神と共に生きる平安と喜びの中に生きているだろうか?

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな御手に包んで、御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。

 主よ、胸に突き刺さる罪の痛みがあります。あなたが示して下さっている罪があります。「そこから救われよ! その罪から清められよ! 私があなたを清める!」と。

 主よ、私は、あなたに向かって、罪を告白します。主よ、どうかお赦し下さい。この罪の束縛から救い取り、解放して下さい。あなたの十字架の血潮を注がれ、清められ、新たに歩んでいくことが出来るよう、助けて下さい。

 語りかけて下さるあなたに感謝します。語りかけて下さる時、いつでもあなたに立ち帰る、柔らかい、低められた心を与えて下さい。

 今日、罪に心を痛めているお一人お一人と共にあり、励まし、支え、立ち直ることが出来るよう、お導き下さい。

 感謝して、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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