聖書日課 エレミヤ書7章(新共同訳 旧約pp.1188-1190)
7章には、エレミヤが、主なる神の導きによって「神殿の門に立ち」、民に向かって語った警告の言葉が記されている。
「主からエレミヤに臨んだ言葉。主の神殿の門に立ち、この言葉をもって呼びかけよ。そして、言え。「主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる」(1~3節)。
興味深いのは、これらの人々が「神殿の門を入って行」こうとしている人々であることである。つまり、彼らは、曲がりなりにも神殿に詣でるだけの信仰を持っていた人々であり、全くの不信仰或いは無宗教ではない。
しかし、それはどこまでも形式的な信仰でしかなかった。「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない」と言われているように(4節)、彼らは神殿に住み給う主を礼拝するのではなく、神殿そのものに価値を置き、神殿があることに安心していた。
それ故、主なる神への実質的な信仰と交わりを失った彼らは、「正義を行」うこともなく、「寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げ」、「無実の人の血を流」し、「異教の神々に従」って、「自ら災いを招いて」いた。
主なる神は、そのような彼らに向かって、こう呼びかけられた。
「この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない。そうすれば、わたしはお前たちを先祖に与えたこの地、この所に、とこしえからとこしえまで住まわせる」(5~7節)。
しかし、彼らは一向に主に耳を傾けようとはしなかった。それ故、遂に主はエレミヤに言われた。
「あなたはこの民のために祈ってはならない。彼らのために嘆きと祈りの声をあげてわたしを煩わすな。わたしはあなたに耳を傾けない」(16節)。
これは主なる神の最後通告の言葉である。どんなに祈っても嘆いても、主なる神が「耳を傾け」て下さらないという日があることを、私達は厳粛に受けとめるべきではないか。誰一人として、そのような日を迎えることがないために。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの絶大な憐れみの中に置いて、この罪深い者を我慢し、我慢するだけでなく愛し、御前に引き出して下さいました。
主よ、エレミヤ書からお語りになるあなたの御言葉を聞き、私は御前にひれ伏します。ごまかしも、自己弁解も、言い逃れも出来ないあなたの火のような言葉が私を突き刺します。
主よ、今こそ、この身にまとわりつく多くの罪を脱ぎ棄てて、あなたに従う時です。主よ、助けて下さい。この心の中にあなたの御言葉に従う、ただ一本の揺るがない道を堅く据えて下さい。
この一週間、あなたの尊い子供を支え、お一人お一人があなたの御声に耳を傾け、あなたの道を歩むことが出来ますよう、助けて下さい。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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