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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 哀歌5章

聖書日課 哀歌5章(新共同訳 旧約pp.1294-1295)

 哀歌の最終章は、エルサレム滅亡の際の悲惨な光景をもって始まる。

「主よ/わたしたちにふりかかったことに心を留め/わたしたちの受けた嘲りに目を留めてください。わたしたちの嗣業は他国の民のものとなり/家は異邦の民のものとなった。父はなく、わたしたちは孤児となり/母はやもめとなった。自分の水をすら、金を払って飲み/自分の木からすら、価を払って取り入れる。首には軛を負わされて追い立てられ/疲れても、憩いはない」(1~5節)。

「家」と国土は「他国の民のものとなり」「水」も食糧も奪われる。「首には軛を負わされて追い立てられ」「父」は殺され、「人妻」「おとめ」「犯され」(11節)、「君候は敵の手で吊り刑にされ」る(12節)。「若者は挽き臼を負わされ」「子供は薪を負わされてよろめく」(13節)……。何という悲惨さ、何という悲劇だろう! 神の民イスラエルの栄光は完全に地に落ちてしまった。

「冠は頭から落ちた。いかに災いなことか。わたしたちは罪を犯したのだ。それゆえ、心は病み/この有様に目はかすんでゆく。シオンの山は荒れ果て、狐がそこを行く」(16~18節)。

 しかし、哀歌はこれだけで終わってしまう書ではない。この時、信仰者は主なる神に目を向けて、こう祈った。

「主よ、あなたはとこしえにいまし/代々に続く御座にいます方。なぜ、いつまでもわたしたちを忘れ/果てしなく見捨てておかれるのですか。主よ、御もとに立ち帰らせてください/わたしたちは立ち帰ります。わたしたちの日々を新しくして/昔のようにしてください」(19~21節)。

 神の民の素晴らしさは、たとえどんな罪に陥っても、また、たとえどのような悲惨の中にあっても、最後に「立ち帰」る所がある、「立ち帰」るべき御方がいるということにある。あの放蕩息子も、没落と飢えのどん底で、父のもとに帰ろうと決心した。そして、そこから新たな人生が開かれていった(ルカによる福音書15章)。

 キリスト者には、どんなどん底に陥っても「立ち帰」るべき所がある。いつまでも私達の帰りを待っていて下さる父なる神がおられる。

「わたしはあなたの背きを雲のように/罪を霧のように吹き払った。わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った」(イザヤ書44章22節)。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と慈しみの中に置き、御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。

 主よ、私達は行くべき道も、帰るべき道も度々見失ってしまいます。虚しさに包まれ、途方に暮れる私達にあなたは語りかけて下さいます。「わたしが道である」と。

 主よ、あなたに立ち帰らせて下さい。この虚しさをあなたご自身が満たして下さい。あなたでなければ決して満たすことが出来ないこの存在を、あなたご自身が満たして下さい。

 どうか、人生の廃墟のような苦しみの中で喘ぐお一人お一人の言葉を聞いて下さい。あなたのもとに帰りたいという真実の思いをどうか受け止めて下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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