ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 哀歌4章

聖書日課 哀歌4章(新共同訳 旧約pp.1292-1294)

 4章では、1~10節にわたって、エルサレム滅亡の悲惨な情景が記されている。

「山犬ですら乳を与えて子を養うというのに/わが民の娘は残酷になり/荒れ野の駝鳥のようにふるまう。乳飲み子の舌は渇いて上顎に付き/幼子はパンを求めるが、分け与える者もいない」(3~4節)。

 飢えに苦しむ「乳飲み子」「幼子」の姿ほど心痛むものはない。しかし、エルサレムでは、更に恐ろしいことさえ起こっていた。

「憐れみ深い女の手が自分の子供を煮炊きした。わたしの民の娘が打ち砕かれた日/それを自分の食糧としたのだ」(10節)。

 これはもう地獄と言ってよいだろう。極限状態に置かれた人間は、獰猛な獣と化すことすらある。

 それにしても、神の民と呼ばれた人々が、どうしてこんなところまで落ちてしまうことになったのだろう。何故これほどまでの悲惨を味わう結果になってしまったのだろう。哀歌はこう語っている。

「これはエルサレム預言者らの罪のゆえ/祭司らの悪のゆえだ。エルサレムのただ中に/正しい人々の血を注ぎ出したからだ」(13節)。

 主なる神の言葉を語り伝えるべき預言者が偽りの言葉を語り、主なる神と人を結び付けるべき「祭司」「悪」を行って、「正しい人々の血」を流し続けた罪。エルサレムの惨状の原因はここにあると聖書は明言する。

 もし預言者が主なる神の言葉をまっすぐに語り続け、また「祭司」が、正しい裁きを行って、人々を主なる神のもとへ正しく導き続けていたなら、エルサレムにこれほどの悲惨が訪れることはなかったに違いない。

 しかし、ここで少し振り返ってみたい。預言者とは誰のことだろう。また祭司とは誰のことだろう。それは今、イエス・キリストを信じるキリスト者一人一人であり、キリストの体である教会ではないだろうか。つまり、私達には、この現代社会に主なる神の言葉を正しく伝え、一人でも多くの人を主なる神のもとへ導く使命が与えられている。そして、そのためにこそ、私達は今ここに生かされている。そのためにも、今私達は、主なる神の御声に耳を傾けることが何よりも大切である。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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