聖書日課 エレミヤ書48章(新共同訳 旧約pp.1263-1266)
本章には、「モアブ」に対する審判の預言が記されている。かなり長い章となっているが、それは、モアブが古くからイスラエルと関わりがあり、イスラエルの隣国であったからかも知れない。
「モアブに向かって。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。災いだ、ネボは略奪され/キルヤタイムは恥を受け、占領された。砦の塔は恥を受け、打ち砕かれた。モアブの栄誉は既にない。ヘシュボンにあって、敵は災いを計る/『この国を滅ぼし尽くそう』と。マドメンよ、沈黙せよ。剣がお前の後ろに迫る」(1~2節)。
しかし、このモアブについて、こう記されている。
「モアブは幼いときから平穏に過ごして/捕囚となったことはない。古い酒のように静かに寝かされ/器から器へ注ぎかえられることなく/その風味は失われず/香りも変わることがなかった」(11節)。
どうして、彼らはこれまで「平穏に過ごして」きたのだろうか。彼らは信仰的な民だったのだろうか。いいえ、決してそうではなかった。
「自分の業と富に頼ったゆえに/お前もまた占領される」(7節)。
「我々は、モアブが傲慢に語るのを聞いた。甚だしく高ぶり、誇り/傲慢に、驕り、慢心していた。わたし自身、モアブの横柄を知っていると/主は言われる。その自慢話はでたらめ/なすこともでたらめだ」(29~30節)。
モアブ人は、目に見える人間の力と「富に頼っ」て生きてきた民族だった。彼らは自分達の繁栄を誇り、軍事力を誇って、「我々は勇士だ」と「高ぶ」っていた(14節)。おまけに、彼らはしばしばイスラエルと敵対し、神の民を嘲り罵った。それはイスラエルの神御自身に対する高ぶりだった(26~27節)。それ故、遂に主はこう宣言された。
「主はこう言われる。見よ、敵は鷲のように速く飛んで来て/モアブに向かって翼を広げる。町々は攻め取られ、砦は陥落する。その日には、モアブの勇士の心は/子を産む女の心のようにおののく。モアブは滅び、民であることをやめる。主に向かって高ぶったからだ」(40~42節)。
「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ」(箴言18章12節、新改訳)。これはまさに私達の人生の現実であり、聖書の厳格な教えである。
祈り
天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と憐れみの中に置いて、御前に引き出し、祈りを献げさせて下さることを、心から感謝致します。
なかなか取り去ることの出来ない心の高慢。主よ、あなたはこれをどのように御覧になっているのでしょうか。
あなたから謙遜を教えていただいてから、心がけようと思ってきましたが、ごまかしがあります。自分の罪を良しとするところが残っています。
主よ、お赦し下さい。あなたの御前に、そして人の前に謙遜な者となることが出来ますように。
そして、このような者が滅ぼされることなく、あなたの恵みによって生かされていることを日々感謝しながら生活することが出来ますよう、お導き下さい。
どうか、痛みと苦しみの中にあるお一人お一人を今日も憐れみ、支え、背負って下さい。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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