聖書日課 エレミヤ書47章(新共同訳 旧約pp.1262-1263)
46章はエジプトの滅亡についての預言だったが、本章はそれに続いて「ペリシテ人」の滅亡が語られている。
「預言者エレミヤに臨んだ主の言葉。ファラオがガザを撃つ前にペリシテ人に向かって。主はこう言われる。見よ、北から水が湧き上がり/川となって押し寄せ/地とそこに満ちるもの/町とその住民を押し流す。男たちも叫び、住民は皆、悲鳴をあげる。軍馬のひづめの音/戦車のごう音、車輪の響きに/父親は力を失い/子供を顧みることもできない。ペリシテ人をすべて滅ぼす日が来る。ティルスとシドンは最後の援軍も断たれる。主がペリシテ人を滅ぼされる/カフトルの島の残りの者まで」(1~4節)。
「ペリシテ人」は、クレタ島付近から移住してシナイ半島西岸に住み着いた民族で、ティルスやシドン、ガザやアシュケロンなどを拠点として繁栄を誇っていた。彼らは、古くからイスラエルの敵で、神の民を苦しめ続けていたが、イスラエルと同様に、バビロンのネブカドネツァルによって滅ぼし尽くされた。
しかし、それはバビロンによって滅ぼされたのではなく、主なる神がバビロンを用いて彼らを滅ぼされたのだとエレミヤは語っている。主なる神は、イスラエル民族の神であるだけでなく、全世界、全民族の神であられる。それ故、主なる神の審判は、神の民イスラエルだけでなく、全ての民族の上に下される。
主なる神は今も人類の歴史の中に生きて働いておられる。国々や民族を動かして、悪を裁き、主なる神の義と臨在を表しておられる。また、主なる神は今も私達一人一人の人生の中に生きて働いておられる。信じて従う者と共にいて、彼らを守り、導き、祝福すると共に、信じない者、罪の道を歩み続ける者を戒め、打ち砕いて、何とかして彼らを主なる神に立ち帰らせようとしておられる。
私達は、歴史の現実の中に主なる神の臨在と御業を見ているだろうか。また、私達の人生の中に働いておられる、主なる神の臨在と御手を見出しているだろうか。主なる神は、今も私達に向かって語りかけておられる。
「あなたは人を塵に返し/『人の子よ、帰れ』と仰せになります」(詩編90編3節)。
「まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。わたしを求めよ、そして生きよ」(アモス書5章4節)。
西原新生バプテスト教会
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