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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エレミヤ書16章

聖書日課 エレミヤ書16章(新共同訳 旧約pp.1206-1208)

 エレミヤは、主なる神から、結婚して家族と共に生きることを禁じられた。それは、やがて家族が「剣と飢饉によって」国家もろとも滅ぼされてしまうからだと言われている。

「主の言葉がわたしに臨んだ。『あなたはこのところで妻をめとってはならない。息子や娘を得てはならない。』このところで生まれる息子、娘、この地で彼らを産む母、彼らをもうけた父について、主はこう言われる。『彼らは弱り果てて死ぬ。嘆く者も、葬る者もなく、土の肥やしとなる。彼らは剣と飢饉によって滅びる。その死体は空の鳥、野の獣の餌食となる』」(1~4節)。

 また、彼は、葬式に参列して「悲しみを表す」ことも、結婚式に参列して喜び祝うことも禁じられた。それは、国中の人々が滅ぼされて、誰も嘆く人がいなくなってしまうからであり、結婚を喜び祝うようなことも絶えてなくなってしまう時が来るからである(5~9節)。

 加えて、エレミヤは、多くの人々から誤解され、迫害を受けることを主なる神から告げられていた。それは、人々の罪と国の滅亡を指摘する主なる神の言葉を語り伝えるのが彼の使命だったからである(10~13節)。

 主なる神に召された者として生きる時、孤独や無理解や迫害というものをどうしても覚悟しなければならない。それは、光と闇が相容れないように、罪にまみれた世にあって、主なる神の光に照らされて生きる者の宿命とも言えるかも知れない。

「えっー! 神様を信じることってそんなに孤独で辛いことなの?」と思う人もいるかも知れない。勿論、主なる神がそのままに放っておかれる筈はない。この時も、主なる神は、孤独と迫害の苦しみの中にいるエレミヤに、次のような希望の約束を与えて下さった。

「見よ、このような日が来る、と主は言われる。人々はもう、『イスラエルの人々をエジプトから導き上られた主は生きておられる』と言わず、『イスラエルの子らを、北の国、彼らが追いやられた国々から導き上られた主は生きておられる』と言うようになる。わたしは彼らを、わたしがその先祖に与えた土地に帰らせる」(14~15節)。

 滅びの向こうに回復がある! 主なる神は必ず自分達を約束の地に「帰らせ」て下さる! この約束と希望があったからこそ、エレミヤは孤独と迫害を乗り越えて主の使命に生きることが出来た。主なる神は、孤独と苦しみの中にいる私達と共におられる。そして、その向こうには、輝かしい希望の将来が約束されている。その希望に生き続けること、それが信仰者である。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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