聖書日課 エレミヤ書34章(新共同訳 旧約pp.1242-1243)
エルサレムがバビロン軍によって包囲された時、「ユダの王ゼデキヤ」は、自分達が主なる神の教えに聞き従わないでいたことを認め、「奴隷の解放を宣言した」(8節)。それは、「だれでも、同胞であるヘブライ人が身を売って六年間、あなたのために働いたなら、七年目には自由の身として、あなたのもとから去らせなければならない」と言われていたからである(14節)。
彼らが主なる神の教えに聞き従って奴隷を解放して間もなく、エジプトの援軍がエルサレムに向かって来たため、その知らせを聞いたバビロン軍がエルサレムから撤退した。それは、主なる神が彼らの従順に確かに答えて下さったからである。
ところが、バビロン軍の脅威が去ると、何と彼らは、解放した筈の人々を「再び強制して奴隷の身分とした」(11節)。結局、彼らの悔い改めは、単なる一時凌ぎの表面的なものでしかなく、心の奥底からの認識と覚悟に基づくものではなかった。
「しかし今日、お前たちは心を入れ替えて、わたしの正しいと思うことを行った。お前たちは皆、隣人に解放を宣言し、わたしの名で呼ばれる神殿において、わたしの前に契約を結んだ。ところがお前たちは、またもや、態度を変えてわたしの名を汚した。彼らの望みどおり自由の身として去らせた男女の奴隷を再び強制して奴隷の身分としている」(15~16節)。
困難の中にある時には、熱心に教会に通って主なる神を礼拝したけれども、暫くして問題が解決すると、いつの間にか熱心さを失い、教会から離れ去ってしまう人がいる。いや、他人事ではなく、それは私達一人一人の弱さと愚かさである。
信仰とは、状況が良い時も悪い時も、常に主なる神に依り頼み、主なる神を第一にして生きることである。「苦しい時の神頼み」は良いが、楽しい時も、嬉しい時も、「全て順調!」という時も、同じように主なる神と共に、主なる神に聞き従って歩み続けることが信仰である。だからこそ、この祈りが大切である。
「二つのことをあなたに願います。わたしが死ぬまで、それを拒まないでください。むなしいもの、偽りの言葉を/わたしから遠ざけてください。貧しくもせず、金持ちにもせず/わたしのために定められたパンで/わたしを養ってください。飽き足りれば、裏切り/主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き/わたしの神の御名を汚しかねません」(箴言30章7~9節)。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの絶大な愛と限りない慈しみに包み、御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。
主よ、この心を清めて下さい。この心を造り変えて下さい。あなたが愛しておられるお一人お一人に仕えるに値する者になれますように。
あなたの愛と痛みを深く知ることが出来ますように。あなたは、このような私に仕え、尊い血潮を注いで清め、毎日足を洗って下さっています。私も仕える者となることが出来ますように。
主よ、あなたの十字架の血潮をほめたたえます。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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