聖書日課 エレミヤ書32章(新共同訳 旧約pp.1237-1240)
「バビロンの王の軍隊がエルサレムを包囲し」た時、エレミヤは「ユダの王の宮殿にある獄舎に拘留されていた」(2節)。そこにエレミヤの従兄弟がやって来て、「アナトトにあるわたしの畑を買い取ってください」と申し出てきた(7節)。エレミヤは、この「畑を買い取り」(9節)、「証書を作成して」言った(10節)。
「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。これらの証書、すなわち、封印した購入証書と、その写しを取り、素焼きの器に納めて長く保存せよ。イスラエルの神、万軍の主が、『この国で家、畑、ぶどう園を再び買い取る時が来る』と言われるからだ」(14~15節)。
大国バビロンの軍隊によって包囲され、風前の灯となっているエルサレム。王の獄舎に繋がれて、囚人の身となっているエレミヤ。どう考えても、最低最悪、お先真っ暗という状況の只中で、主なる神は「この国で家、畑、ぶどう園を再び買い取る時が来る」と言われた。
これはエレミヤ自身にとっても驚きだった。彼は次のように告白している。
「今や、この都を攻め落とそうとして、城攻めの土塁が築かれています。間もなくこの都は剣、飢饉、疫病のゆえに、攻め囲んでいるカルデア人の手に落ちようとしています。あなたの御言葉どおりになっていることは、御覧のとおりです。それにもかかわらず、主なる神よ、あなたはわたしに、『銀で畑を買い、証人を立てよ』と言われました。この都がカルデア人の手に落ちようとしているこのときにです」(24~25節)。
国が滅び去ろうとしている時に土地など買って何になるだろう。獄舎に閉じ込められている者が、住むことも見ることも出来ないその土地を手に入れて、一体何の役に立つだろう。
しかし、主なる神は、そのような時だからこそ「銀で畑を買い、証人を立てよ」と言われる。それは、決して希望を捨ててはならないという主なる神の呼びかけでもある。
信仰とは、まさにこういうことである。主なる神を信じて生きる者は、暗闇の真ん中で主なる神の光を見、絶望のどん底で希望を語ることが出来る。それは、人間の理性から見たら不思議なこと、有り得ないことに違いない。しかし、「神にできないことは何一つない」(ルカによる福音書1章37節)。主なる神は、私達を、暗闇と絶望の真ん中で、確かな希望をもって生きる者として下さる。
西原新生バプテスト教会
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