聖書日課 エレミヤ書30章(新共同訳 旧約pp.1232-1234)
以前にも書いたように、エレミヤの預言には二つの面がある。一つは、ユダ王国の滅びであり、もう一つは、神の民「イスラエル」の「回復」である。その預言の通り、ユダとその都エルサレムは、紀元前586年にバビロンの王によって滅ぼし尽くされ、またその約束通り、紀元前538年には、キュロス王によってエルサレム帰還の布告がなされた。
しかし、エレミヤの預言には、更に二つの面がある。それは、神の民「イスラエル」の「回復」に関する二面である。
「主からエレミヤに臨んだ言葉。『イスラエルの神、主はこう言われる。わたしがあなたに語った言葉をひとつ残らず巻物に書き記しなさい。見よ、わたしの民、イスラエルとユダの繁栄を回復する日が来る、と主は言われる。主は言われる。わたしは、彼らを先祖に与えた国土に連れ戻し、これを所有させる』」(1~3節)。
その第一の面は、キュロス王の布告によるエルサレム帰還と「イスラエル」の再興である。それは70年にわたる捕囚期間の後、紀元前6世紀の後半に預言通り実現した。
「イスラエル」の「回復」に関する第二の面は、最終的な「回復」、即ち終末の時代における全「イスラエル」の救いと「回復」に関するものである。それは将来において実現されるもので、エレミヤの預言は、その意味で現在の私達に向けても語られていると言うことが出来る。
「ひとりの指導者が彼らの間から/治める者が彼らの中から出る。わたしが彼を近づけるので/彼はわたしのもとに来る。彼のほか、誰が命をかけて/わたしに近づくであろうか、と主は言われる」(21節)。
新しい「イスラエル」を治める「指導者」は、再興された「イスラエル」を支配するのではなく、正しく「治める」ために主なる神のもとに「近づく」者であり、そのために「命をかけ」ると言われている。それは人間の指導者を指しているが、その究極は、イエス・キリストの十字架に現されたと言うことが出来るだろう。即ち、主イエス・キリストこそが、「イスラエル」を再興し、正しく「治める」真の指導者である。
イエス・キリストを信じる私達は、再興された真の「イスラエル」である。そして、主イエス・キリストは、真の「イスラエル」を「命をかけて」永遠に「治め」、守り、導いて下さる。それ故、使徒パウロはこう宣言した。
「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(ローマの信徒への手紙8章38~39節)。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。あなたの憐れみにより生かされ、今日も御前に引き出していただいたことを、心から感謝致します。
主よ、癒し難いほど傷つき、人に捨てられた者を憐れんで下さるあなたがいらっしゃることを感謝致します。私達は、高慢で人生に苦しまなければあなたを認めることがないほど、罪深い者です。しかし、主よ、私達はそこまで落ち込む前にあなたに立ち帰りたいと願います。
主よ、どうか今、この時、あなたに立ち帰ることが出来るよう、助けて下さい。
自分の知恵、自分の思い、自分の何かではなく、あなたが私の人生の主、生活の主となって、この霊と心と体を治めて下さい。あなたこそ私の王、私の主です。
痛みと苦しみの中にあるお一人お一人の傍にいて下さい。お一人お一人を癒し、人生を回復し、お一人お一人の主となって、お導き下さい。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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