聖書日課 イザヤ書51章(新共同訳 旧約pp.1146-1148)
バビロン捕囚のどん底にいるイスラエルの人々に向かって、主なる神は、「わたしに聞け」(1節)、「わたしに聞け」(4節)、「わたしに聞け」(7節)と、何度も繰り返し呼びかけられた。これは主なる神から神の民への信仰の呼びかけである。
「わたしの民よ、心してわたしに聞け。わたしの国よ、わたしに耳を向けよ。教えはわたしのもとから出る。わたしは瞬く間に/わたしの裁きをすべての人の光として輝かす」(4節)。
「天に向かって目を上げ/下に広がる地を見渡せ。天が煙のように消え、地が衣のように朽ち/地に住む者もまた、ぶよのように死に果てても/わたしの救いはとこしえに続き/わたしの恵みの業が絶えることはない」(6節)。
私達は、日々何に耳を傾けて生きているだろうか。新聞だろうか。テレビだろうか。友人や尊敬する師の声だろうか。或いは何かの書物だろうか。確かにそういうものから学ぶことは大切である。しかし、私達が誰よりも何よりも真っ先に耳を傾けるべきは、天地を創られた主なる神の御声をおいて他にない。
「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマの信徒への手紙10章17節)。
「信仰は聞くこと」から「始まる」。「キリストの言葉を聞くことによって」始まる。そして、その時私達は、人への恐れから解放される。恐れは、造り主である神を忘れることから生まれる。主に耳を傾けることを忘れ、主の御声に聞き従うことから離れた時、神の民はバビロンに連れ去られて行った。そして、彼らは人の嘲りと罵りを恐怖するようになった。しかし、そのような彼らに、主なる神はなお呼びかけられた。
「わたしに聞け/正しさを知り、わたしの教えを心におく民よ。人に嘲られることを恐れるな。ののしられてもおののくな。彼らはしみに食われる衣/虫に食い尽くされる羊毛にすぎない。わたしの恵みの業はとこしえに続き/わたしの救いは代々に永らえる」(7~8節)。
「わたし、わたしこそ神、あなたたちを慰めるもの。なぜ、あなたは恐れるのか/死ぬべき人、草にも等しい人の子を。なぜ、あなたは自分の造り主を忘れ/天を広げ、地の基を据えられた主を忘れ/滅びに向かう者のように/苦痛を与える者の怒りを/常に恐れてやまないのか。苦痛を与える者の怒りはどこにあるのか。かがみ込んでいる者は速やかに解き放たれ/もはや死ぬことも滅びることもなく/パンの欠けることもない」(12~14節)。
この呼びかけの声にじっと耳を傾け、ずっと聞き続けること、信仰はそこから始まる。
祈り
愛する天のお父様、尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と深い慈しみに包まれ、御前に引き出され、祈りを献げられることを心から感謝します。
主よ、あなたは、私が絶望の中に倒れていた時、私のところにやって来て、私を引き上げ、背負って下さいました。あなたこそ、私の存在の基盤です。あなたがいなければ、今の私はありません。
主よ、痛み、苦しみがやって来る時、いつもそこに立ち帰り、あなたの初めの愛に立ち戻ることが出来ますように。
主よ、どうか語って下さい。私達を新たに創造するあなたの御声を聞かせて下さい。無から有を呼び出されたあなたが、お一人お一人に、そしてお一人お一人の状況に働きかけ、新しい業を行って下さいますよう、心からお願い致します。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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