聖書日課 エレミヤ書20章(新共同訳 旧約pp.1213-1215)
エレミヤは主なる神の言葉をユダの民に告げた。「わたしはこの民とこの都を砕く」と(19章11節)。
「主の神殿の最高監督者である祭司」パシュフルは、この言葉を聞くと、エレミヤを捕らえて打ち、神殿の「門に拘留した」(1~2節)。彼らにとって、エレミヤは、人心を不安に陥れる厄介者であり、平和な社会をかき乱す邪魔者でしかなかった。エレミヤは、一日中人々の軽蔑と嘲りの言葉を浴びせられ、翌日ようやく「拘留を解」かれた。この時、エレミヤは言った。
「…主の言葉のゆえに、わたしは一日中/恥とそしりを受けねばなりません」(8節)。
「主の言葉」を語り、「主の言葉」によって生きることは、必ずしも人々から喜ばれたり、褒められたりするものではない。いや、それどころか、多くの場合、人々から嘲られたり、厄介者扱いされたり、攻撃されることさえある。
それでもなお、エレミヤは主なる神の言葉を語らずにいられなかった。
「主の名を口にすまい/もうその名によって語るまい、と思っても/主の言葉は、わたしの心の中/骨の中に閉じ込められて/火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして/わたしは疲れ果てました。わたしの負けです」(9節)。
御言葉が「心の中」で「火のように燃え上がり」、エレミヤを突き動かしていた。このように、主の御言葉は生きて働く力であり、信じる者を内側から突き動かして造り変えてしまう。
また、エレミヤは言った。
「しかし主は、恐るべき勇士として/わたしと共にいます。それゆえ、わたしを迫害する者はつまずき/勝つことを得ず、成功することなく/甚だしく辱めを受ける。それは忘れられることのない/とこしえの恥辱である」(11節)。
〈主が共におられること〉、この確信の故に、エレミヤはどんな迫害に遭っても、最後まで挫けず諦めずに、預言者としての使命を全うすることが出来た。
主の御言葉を心に蓄え、主の臨在の中にいつもいること、それが、あらゆる困難と苦難に打ち勝つ秘訣である。
西原新生バプテスト教会
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