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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エレミヤ書17章

聖書日課 エレミヤ書17章(新共同訳 旧約pp.1208-1210)

 心は目には見えない。それ故、人が何に「信頼し」、何を「頼みとし」ているかは、他人には見えにくいものである。しかし、人の心を御覧になる主なる神は、その人が何に依り頼んで生きているかをご存知である。そして、人の心が何を「頼みとし」ているかによって、その人の人生に目に見える確かな違いを現される。

「主はこう言われる。呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとし/その心が主を離れ去っている人は。彼は荒れ地の裸の木。恵みの雨を見ることなく/人の住めない不毛の地/炎暑の荒れ野を住まいとする。祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。彼は水のほとりに植えられた木。水路のほとりに根を張り/暑さが襲うのを見ることなく/その葉は青々としている。干ばつの年にも憂いがなく/実を結ぶことをやめない」(5~8節)。

「その心が主を離れ去っている人」は、「荒れ地の裸の木」のように、「恵みの雨を見ることなく/人の住めない不毛の地/猛暑の荒れ野を住まいとする」と言われている。これは、喜びも希望も潤いもない渇き切った心と生活を意味している。恵みの源である主なる神から離れ去るとは、そういうことである。

 一方、「主に信頼する人」は、「水のほとりに植えられた木」のように「水路のほとりに根を張り/暑さが襲うのを見ることなく/その葉は青々として」「干ばつの年にも憂いがなく/実を結ぶことをやめない」と言われている。たとえ周りは「干ばつ」に襲われても、水源である主なる神に「信頼」して歩む人は、決して渇くことなく、「憂い」もなく、「青々と」葉を茂らせて、「実を結ぶ」人生を生きることが出来る。

 一人の神父が、次のような体験を記している。ベトナム戦争終了後、その神父は、「反革命分子」のレッテルを貼られて13年間もの間強制収容所に閉じ込められた。彼の独房を5人の看守が交代で見張り、四六時中彼を監視していた。

 或る冬の夜、寒さと孤独で眠れない日が何日も続く中、彼は、自分は一体どうしたらいいのだろうと途方に暮れてしまった。その時、彼は主なる神の御声を聞いた。「なぜ、そのような愚かな考えを持つのか。あなたはとても豊かであるはず。あなたの心には、キリストの愛が宿っているではないか。イエスがあなたを愛したように、あなたも彼らを愛しなさい」。

 翌朝から、彼は看守達の中にいる主イエス・キリストを愛するように努めた。そして、彼らに微笑みかけ、言葉を交わした。すると、強制収容所内の雰囲気が次第に変わり、最後には公安局長でさえも、部下達の外国語教育を神父に願い出るようになったという。

 御言葉は、まさしく真実である。

「祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。彼は水のほとりに植えられた木。水路のほとりに根を張り/暑さが襲うのを見ることなく/その葉は青々としている。干ばつの年にも憂いがなく/実を結ぶことをやめない」(7~8節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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