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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 列王記下3章

聖書日課 列王記下3章(新共同訳 旧約pp.579-581)

 悪名高きアハブ王が死に、その子アハズヤも僅か2年で病死したため、アハブのもう一人の息子ヨラムが北イスラエルの王となった(1節)。

 聖書はこのヨラムについて興味深い評価をしている。

「彼は主の目に悪とされることを行ったが、ただ彼の父や母ほどではなかった。父が作ったバアルの石柱を彼は取り除いた。しかし彼は、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を自分も犯し続け、それを離れなかった」(2~3節)。

 何とも中途半端な感じがする。折角「父が作った」異国の偶像「バアルの石柱」「取り除いた」のなら、「ヤロブアム」の造った金の子牛も一緒に取り除き、真の神、主に立ち帰ればいいのにと思う。しかし、彼はそうしなかった。恐らく彼がバアルを取り除いたのは、バアルには御利益がないから、代わりに金の子牛にしようというようなことだったのだろう。

 確かに「あれが駄目ならこれ」という切り替えが必要な場合もある。しかし、それが家族であれば、私達は簡単に取り替えるようなことは出来る筈がない。家族との繋がりは切っても切れない大切なものだからである。にもかかわらず、それが神に対してなら出来るとすれば、結局のところヨラムにとって神とは、何でも自分の都合の良いようにしてくれるもので、そうでなければ簡単に捨ててしまえるものでしかなかった。そして、これが〈偶像礼拝〉というものの本質である。

 しかし、主なる神が私達との間に願っておられる関わりは、深い信頼と強い意志に根差した永遠の愛の交わりである。創造主である神と被造物である私達の関係は、召使や奴隷ではなく、刹那的な御利益関係でもなく、愛に根差した永遠の親子の関わりである。それは私達が自ら拒絶しない限り、決して解消されることのない確かな交わりである。

 ヨラムには、そういう神理解は全くなかった。それ故、罪の自覚も悔い改めもなく、主なる神への信頼も全くなかった。「彼は主の目に悪とされることを行った」と記されているヨラムの悪の根源は、主なる神に対する愛と信頼の欠如にあった。

「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6章4~5節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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