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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エレミヤ書8章

聖書日課 エレミヤ書8章(新共同訳 旧約pp.1190-1192)

 聖書の御言葉は、イスラエルの人々にとって誇りであった。自分達は主なる神に選ばれた民族であり、私達は「主の律法を持っている」、都には神殿がある、という自負心さえ持っていた。

 しかし、彼らは、御言葉を真剣に読むことも学ぶこともなく、それに聞き従って生きることから遠く離れていた。それどころか、彼らは偶像を取り入れ、霊的にも倫理的にも乱れきった生活を続けていた。

「どうしてお前たちは言えようか。『我々は賢者といわれる者で/主の律法を持っている』と。まことに見よ、書記が偽る筆をもって書き/それを偽りとした。賢者は恥を受け、打ちのめされ、捕らえられる。見よ、主の言葉を侮っていながら/どんな知恵を持っているというのか」(8~9節)。

 御言葉は、これを読む者の心に罪を示す。それ故、罪を認めて謙る心がなければ、ここから学ぶことは出来ない。また、主の御言葉は、これを読む者に反省と変化を求める。だから、現状に満足している者にとっては、煩わしいものでしかないだろう。

 しかし、主の御言葉は、これを読む者の心に真の慰めを与える。それ故、苦しみ悩む者、悲しみ痛む者の心に真の励ましと癒しを与える。また、御言葉は、これを読む者の心に希望を与える。それ故、挫折と絶望の暗闇の中にある者に導きと生きる力を与える。

 主の御言葉は、「持っている」だけでは何の意味もない。また、御言葉は知っているだけでも殆ど役に立たない。御言葉をどのように受けとめるかという心の姿勢が何よりも大切である。

「見よ、主の言葉を侮っていながら/どんな知恵を持っているというのか」(9節)。

 イスラエルの人々は、御言葉が与えられていることにあぐらをかき、知っているつもり、信じているつもりになって、次第に主なる神から離れていった。真の「知恵」とは、主の御言葉に真剣に耳を傾け、聞き従うことの中にこそある。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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