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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

主日礼拝宣教 2022年8月28日

主日礼拝宣教 2022年8月28日
ダニエル書2章26〜49節(新共同訳 旧約pp.1381-1383)
「ダニエルは思慮と知恵とをもって」

 先週から私達はダニエル書の御言葉を拝読している。イスラエルは、その罪の故に懲らしめを受け、バビロンに捕囚として連れて行かれた。しかし、今日私達に与えられた御言葉は、主なる神が異邦の地でも真実な信仰を持つ者に恵みを施される方であることを示している。また、今日の聖書箇所は、主なる神が、権力者を立て、また廃し、国と個人の興亡盛衰を治め、世を導く主権者であられることを教えている。

1. 不安になるネブカドネツァル王

「王はダニエルに言った。『あなたがこの秘密を明かすことができたからには、あなたたちの神はまことに神々の神、すべての王の主、秘密を明かす方にちがいない』」(47節)。

 何ということだろう。偶像礼拝者であり、当時最大の強国の王であったネブカドネツァルが、イスラエルの神である主を認め、主なる神をこれほどまでにほめたたえるとは。それだけではない。ネブカドネツァルは、ダニエルの前に「ひれ伏して」(46節)、彼を「バビロン全州を治め」「長官」に任命している(48節)。一体何が起こったのか。
 事の発端は、ネブカドネツァル王が「何度か夢を見」たことである。とても不思議な夢であったので、王は「不安になり、眠れなくなった」(1節)。それが神の啓示であり、重要な意味を持っていると感じたからである。
 古代社会では、夢は神々が啓示したものであると信じられていた。聖書にも主なる神が夢を通して啓示された場面がある。ヤコブの子ヨセフは、自分が将来エジプトの宰相になることを示す夢を見た(創世記37章1~11節)。イエス・キリスト系図上の父であるヨセフも、イエス・キリストの誕生について、夢を通して主なる神の言葉を受けている(マタイによる福音書1章20節)。預言者ヨエルは、世の終わりに主なる神の霊が全ての人に注がれ、子供達は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見ると預言している(ヨエル書3章1節)。
 そこで、王は、自分に仕える「占い師、祈禱師、まじない師、賢者を呼び出し、自分の夢を説明させようとした」(2節)。しかも、王は、自分の「見た夢を言い当て」、かつ「その解釈」をすることを求めた。夢の内容を言ったら、こじつけて説明する者が出てくるからだろうが、王の要求は人間の能力を超越したものであった。結局、誰も答えられなかったため、王は「激しく怒り、憤慨し、バビロンの知者を皆殺しにするよう命令した」(12節)。
 この世の権力者がその力にものを言わせることは、昔から変わらない。しかし、国々にその名を轟かせたバビロンの力と王の権力も、たった一つの夢の前に全く無力であった。

2. 主なる神に知恵と力を求めるダニエル

 ネブカドネツァル王がどのような夢を見たのかも知らされない状況で、ダニエルはそれを解き明かした。どうしてそのようなことが出来たのか。聖書は次のように記している。

「ダニエルは家に帰り、仲間のハナンヤ、ミシャエル、アザルヤに事情を説明した。そして、他のバビロンの賢者と共に殺されることのないよう、天の神に憐れみを願い、その夢の秘密を求めて祈った。すると、夜の幻によってその秘密がダニエルに明かされた」(17~19節)。

 これがダニエルの知恵の秘密であった。即ち、ダニエルは、いかなる状況に置かれても、常に天地を支配する主なる神への信仰に立ち続けた。たとえ自分の身は捕囚であっても、またバビロンの王がどんなに強く恐ろしい存在であっても、彼は常に「天の神」を畏れ敬い、信頼していた。
 そして、主なる神は、そのような彼のまっすぐな信仰に喜んで応えられた。ここにダニエル書の醍醐味があり、読む者を勇気づけて止まない理由がある。
 しかも、ダニエルは、主なる神が幻をもってネブカドネツァル王の夢について示された時、「神の御名をたたえよ、世々とこしえに。知恵と力は神のもの」と主なる神に「感謝と賛美をささげ」ている(20節、23節)。ダニエルは決して傲慢になることはなく、常に謙遜さを失わなかった。それは、ダニエルがバビロンの王に語ったこの言葉の中にも現れている。

「その秘密がわたしに明かされたのは、命あるものすべてにまさる知恵がわたしにあるからではなく、ただ王様にその解釈を申し上げ、王様が心にある思いをよく理解なさるようお助けするためだったのです」(30節)。

 ダニエルが、異教の地にあって幾度も危機を乗り越え、その地位を確立し、生き長らえることが出来たのは、主なる神に対する信頼と感謝と謙遜を常に保ち続けたからである。私達も、主なる神が大いなることを行われた時、主に感謝と讃美を献げ、栄光を帰そう。

3. 時が来たら滅びるこの世の国

 ダニエルは、主なる神から幻によって秘密を示されると、ネブカドネツァル王の前に出て、夢の解き明かしを行った。
 ダニエルはまず、夢とその「秘密」を明らかにされる方が誰であり、王が何故その夢を見るようになったのかを話している。王が見た夢は、主なる神が「将来何事が起こるのか」「知らせてくださった」ものである。ダニエルの夢の解説は、ダニエル書の根幹をなす預言となっている。それは、バビロンをはじめとする、大国の行く末を予告している。
 ネブカドネツァル王は、夜に寝床に入り、「先々のことを思いめぐらして」いた。彼の心には2つの思いがあった。自分が築いた王国が偉大なものであるという自負と、苦労して築いた王国の将来に対する不安である。主なる神はこの点について、夢を通してネブカドネツァル王に示された。
 バビロンの将来がどうなるかは、主なる神が啓示された秘密である。それ故、その「秘密の説明は、知者、祈禱師、占い師、星占い師」には不可能である。ただ「天の神」だけが「秘密を明かす」ことが出来る(27~28節)。ダニエルが王の夢の解き明かしが出来たのも、彼が主なる神を信頼し、王に主なる神の御心を知らせるという使命のために用いられたからである。このことは、ヨセフがファラオに夢を解き明かす前に語った言葉を思い出させる(創世記41章16節)。
 ダニエルはネブカドネツァル王に、主なる神が幻の中で自分に示されたことをそのまま告げた。王が見たのは様々な金属から成る「一つの像」に関する夢であった。

「王様、あなたは一つの像を御覧になりました。それは巨大で、異常に輝き、あなたの前に立ち、見るも恐ろしいものでした。それは頭が純金、胸と腕が銀、腹と腿が青銅、すねが鉄、足は一部が鉄、一部が陶土でできていました」(31~32節)。

 当時征服地での勝利を記念し、王や王が信じる神をたたえるために、このような像が造られた。「純金」で出来た「頭」というのは〈バビロン〉のことである。「銀」で出来た「胸と腕」というのは、バビロンの後に台頭する〈ペルシア〉のことである。「青銅」で出来た「腹と腿」というのは、ペルシアの後に世界を支配する〈ギリシア〉のことである。そして、「鉄」で出来た「すね」「鉄」「粘土」で出来た「足」というのは〈ローマ〉のことである。
 主なる神は世々の帝国を「像」として見せられた。しかし、「人手によらずに切り出され」「一つの石」が打ち付けると、この像は「砕け」(34節)、「風に吹き払われ、跡形もなくな」った。そして、この像を「打ち砕」いた「石」は、「大きな山となり、全地に広がった」(35節)。
 ダニエルの解き明かしは、王国が永遠に続くというネブカドネツァルの期待通りの答えではなかった。逆に、時が来たら滅びることを、主なる神は告げられた。ネブカドネツァル王が考えもしなかったこと、まさに秘密を、主なる神はダニエルを通して示された。
 主なる神の御言葉を伝える者は、主なる神が示され、悟らされたことをそのまま加減することなく伝えなければならない。自分の考えや思想を加えたり、自分の気に入らないことを取り除いてはいけない。イエス・キリストヨハネに啓示する中で、その御言葉に付け加えたり、取り除く者には恐ろしい裁きがあると警告された(ヨハネの黙示録22章18~19節)。御言葉に仕える者は、主なる神が啓示された御言葉がそのまま伝えられるために最善を尽くさなければならない。そして、主なる神の御言葉を加減なく伝えるために必要なのは、主なる神の御前に謙り、イエス・キリストの十字架の前にひれ伏すことである。

4. 永遠に続く神の国

 最後に天から降る「石」について、ダニエルは次のように解き明かしている。

「この王たちの時代に、天の神は一つの国を興されます。この国は永遠に滅びることなく、その主権は他の民の手に渡ることなく、すべての国を打ち滅ぼし、永遠に続きます」(44節)。

 ダニエルの解き明かしは、世の全ての国は永遠ではなく、終わりがあることを示している。そして、ネブカドネツァル王の夢を通して、神の国の究極的な勝利も預言されている。
「像」は人間が作り出したものに過ぎない。どんなに「巨大」「像」であっても、絢爛豪華な「像」であっても、やがて朽ちてしまう。現代においても、いつまでも続くように見える強大な国があるが、その国もいつか消える。世の主権者は主なる神であり、国々は主なる神のご計画の中で一時的に存在しているだけである。
 しかし、「天の神」「興され」る御国は永遠である。人間の作り出した「像」は空しく滅び去るが、神の国は永遠に全地を支配する。世の終わりの日には、世の全ての国が裁かれ、神の国だけが永遠に建つ。その国をイエス・キリストが永遠なる王として治められる。
「すね」「足」の時代、つまりローマ帝国の時代に、イエス・キリストは来られた。そして、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と宣言された(マルコによる福音書1章15節)。
 その後ローマ帝国は滅んだが、神の国はまだ完成しておらず、今日に至っている。だが、歴史は神の国の完成に向かって進んでいる。だから、私達は今日もイエス・キリストが教えて下さった祈りを献げる。「御国が来ますように」と(マタイによる福音書6章10節)。
 イエス・キリストが治められる神の国だけが永遠である。イエス・キリストに従い、神の国の民としてのアイデンティティに基づいて生活しよう。ダニエルが主なる神の啓示である夢の解き明かしを伝えると、ネブカドネツァル王はダニエルの神こそ神々の中の神であると認めた。私達が神の国の福音を伝え、御言葉に従って御心を行うことを通して、まだ信じていない人がイエス・キリストを主と告白し、その御名を崇めるようになる。
 勿論、神の国の福音を宣べ伝える時、迫害を受けることもある。しかし、主なる神を信頼し、その御言葉に従うなら、主が祝福して下さる。神の国の福音が伝えられるところで結ばれる実に期待しながら、その使命に従っていこう。そして、主なる神の勝利に与ろう。