ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エレミヤ書5章

聖書日課 エレミヤ書5章(新共同訳 旧約pp.1182-1185)

 5章には衝撃的な言葉が記されている。

エルサレムの通りを巡り/よく見て、悟るがよい。広場で尋ねてみよ、ひとりでもいるか/正義を行い、真実を求める者が。いれば、わたしはエルサレムを赦そう。『主は生きておられる』と言って誓うからこそ/彼らの誓いは偽りの誓いとなるのだ。主よ、御目は/真実を求めておられるではありませんか。彼らを打たれても、彼らは痛みを覚えず/彼らを打ちのめされても/彼らは懲らしめを受け入れず/その顔を岩よりも固くして/立ち帰ることを拒みました」(1~3節)。

 たった「ひとり」で何が出来るか、と私達は考える。しかし、主なる神は、その「ひとり」を求められる。「ひとり」でもいれば、エルサレムを赦そう」と言われる。しかし、エルサレムには、その「ひとり」さえ見つけることが出来なかった。

 ニューヨークのスラム街で子供達のための日曜学校を開催しているビル・ウィルソン牧師は、「たったひとりの人でも、大きな変化を生み出せるのです」とその著書に書いている。その言葉の通り、1980年には誰もが「不可能だから止めたほうがいい」と言ったその働きは、今では毎週2万人~3万人の子供が集まる日曜学校を開催するようになっている! (万代栄嗣訳『ラスト・ランナー―ひとりの力で世界は変わる』ウィズダム出版, 2007年)。

 主なる神は知っておられる。「ひとり」の信仰者の存在の価値を。だからこそ、本気で主なる神に信頼し、どこまでも主なる神に聞き従って生きる人物を求めておられる。

 主なる神は、彼らに何度も何度も警告を与え、それでも駄目なら彼らを打ち、何とかして彼らを主なる神に立ち帰らせようとされた。

 しかし、彼らは「打たれても」なお「痛みを覚えず」「打ちのめされても」なお「懲らしめを受け入れず」、どこまでも主なる神に「立ち帰ることを拒み」続けた。ここにエルサレムの堕落の姿があった。

 私達の国には、果たしてその「ひとり」がいるだろうか。本気で主に信頼し、どこまでも主に聞き従う信仰者がいるだろうか。あなたも私も、その「ひとり」となるようにと、今も主は待っておられるに違いない。この国が赦され、そして祝福されるために。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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