ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 イザヤ書57章

聖書日課 イザヤ書57章(新共同訳 旧約pp.1154-1156)

 56章の終わりから57章の前半にかけて、「神を畏れぬ者」への警告の言葉が記されている。

「誰におびえ、誰を恐れて、お前は欺くのか。お前はわたしを心に留めず/心にかけることもしなかった。わたしがとこしえに沈黙していると思って/わたしを畏れないのか。わたしが述べてみよう、お前の言い分/お前の造ったものどもを。お前にとって、それらは何の役にも立たない。助けを求めて叫んでも/お前の偶像の一群はお前を救いはしない。風がそれらすべてを巻き上げ/ひと息でそれらを吹き去るであろう」(11~13節)。

 彼らは、「羊飼いでありながらそれを自覚せず、それぞれ自分の好む道に向かい自分の利益を追い求める者」であり(56章11節)であり、「酒」に溺れ(56章12節)、「偶像」を崇拝し(9節、13節)、「姦淫」「淫行」に耽る者であると言われている(3節)。

 それは一体どこの国の人々だろう? お分かりの通り、彼らとは、神の民イスラエルであり、とりわけ、民を導く立場にあった指導者のことである。そのような指導者の治める国では、「神に従」う人が「失われ」ても、「だれひとり心にかけ」る者はおらず、「神の慈しみに生きる人々が取り去られても/気づく者はない」と言われている(1節)。そして、それは間違いなく、滅びに向かっている国であると言ってよいだろう。

 しかし、主なる神は、そのような滅びるばかりの彼らに向かって、なおこう呼びかけられた。

「高く、あがめられて、永遠にいまし/その名を聖と唱えられる方がこう言われる。わたしは、高く、聖なる所に住み/打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり/へりくだる霊の人に命を得させ/打ち砕かれた心の人に命を得させる。わたしは、とこしえに責めるものではない。永遠に怒りを燃やすものでもない。霊がわたしの前で弱り果てることがないように/わたしの造った命ある者が」(15~16節)。

「わたしは彼の道を見た。わたしは彼をいやし、休ませ/慰めをもって彼を回復させよう。民のうちの嘆く人々のために/わたしは唇の実りを創造し、与えよう。平和、平和、遠くにいる者にも近くにいる者にも。わたしは彼をいやす、と主は言われる」(18~19節)。

 主の御前に「へりくだる」者の上に、主なる神の祝福は、再び降り注がれる。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの絶大な恵みの御手の中に私達を握り、御前に連れ戻して下さったことを感謝致します。

 主よ、私はあなたから遠く離れ、罪の道を歩んでいました。しかし、あなたはそのような私を見捨てず、見放さず、すぐ傍までやって来て語りかけて下さいました。「わたしはあなたをいやし、命を得させる」と。

 あなたの御言葉により、罪に病み、健康を失っていた私は癒され、御前に立ち上がることが出来ました。

 主よ、あなたの御言葉、あなたの十字架の血潮は、私達に命を得させる絶大な力です。

 主よ、あなたから離れて行こうとするこの心を、あなたのところに引き留めて下さい。「わたしはあなたを癒し、命を得させる」と語りかけて下さるあなたの御思いを、この身に受け、あなたの光の中を歩むことが出来るよう、助け導いて下さい。

 痛みと苦しみの中にあるお一人お一人を、あなたご自身が訪れ、語りかけて下さい。「わたしがあなたを癒す。平安を与える」と。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com