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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 イザヤ書33章

聖書日課 イザヤ書33章(新共同訳 旧約pp.1112-1114)

 紀元前8世紀の終わり、ユダの国に攻め入ろうとしたアッシリアに対し、ユダの王ヒゼキヤは貢ぎ物をもって和睦を申し出た。ところが、アッシリアの王センナケリブは、この約束を裏切ってユダ王国に攻め寄せて来た。その時の祈りが次の祈りである。

「災いだ、略奪されもしないのに、略奪し/欺かれもしないのに、欺く者は。お前は略奪し尽くしたときに、略奪され/欺き終えたときに、欺かれる。主よ、我らを憐れんでください。我々はあなたを待ち望みます。朝ごとに、我らの腕となり/苦難のとき、我らの救いとなってください」(1~2節)。

 大国の脅威に恐れを抱き、安易な安全策を選んだヒゼキヤ王とユダの民は、裏切られて初めて、主なる神に「我らの救いとなってください」と叫び祈った。私達も、「苦難」に出会うまでは本気で主に目を向けようとしない。苦しみは、私達の目と心を主なる神に対してまっすぐに向けさせる機会となる。そして、私達が真に主に依り頼む時、次のような告白をすることが出来る。

「主はあなたの時を堅く支えられる。知恵と知識は救いを豊かに与える。主を畏れることは宝である」(6節)。

 私達が真に「主を畏れ」敬うようになる時、それまで私達を金縛りにしていた恐怖が不思議に消え去ってしまうという経験をする。目に見える恐怖はそれ以上私達を縛り付けておくことは出来ない。まさに「主を畏れることは宝」となる。

「あなたの目は麗しく装った王を仰ぎ/遠く隔たった地を見る。あなたの心はかつての恐怖を思って言う。あのとき、数を調べた者はどこにいるのか/量った者はどこにいるのか/やぐらを数えた者はどこにいるのか、と。あの傲慢な民をあなたはもはや見ない。その民の唇は重くて聞き分けることができず/舌はどもるので理解しえなかった。シオンを仰ぎ見よ、我らの祝祭の都を。あなたの目はエルサレムを見る。それは安らかな住まい/移されることのない天幕。その杭は永遠に抜かれることなく/一本の綱も断たれることはない」(17~20節)。

 何を「仰ぎ見」るか。ここに秘訣がある。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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