聖書日課 イザヤ書30章(新共同訳 旧約pp.1106-1109)
30章には、「エジプト」に依り頼もうとしていたユダ王国に対する警告の預言が記されている。アッシリアの脅威に晒された時、ユダの指導者は「エジプト」と盟約を交わそうとした。目に見えるアッシリアの脅威に怯えるユダが、目に見えるエジプトの力に依り頼もうとするのは当然のことのように思われる。
しかし、そのようなユダの人々に、主は次のように言われた。
「災いだ、背く子らは、と主は言われる。彼らは謀を立てるが/わたしによるのではない。盟約の杯を交わすが/わたしの霊によるのではない。こうして、罪に罪を重ねている。彼らはわたしの託宣を求めず/エジプトへ下って行き/ファラオの砦に難を避け/エジプトの陰に身を寄せる。しかし、ファラオの砦はお前たちの恥となり/エジプトの陰に身を寄せることは辱めとなる」(1~3節)。
「まことに、イスラエルの聖なる方/わが主なる神は、こう言われた。『お前たちは、立ち帰って/静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある』と」(15節)。
ところが彼らはそれを望まなかった。
「お前たちは言った。『そうしてはいられない、馬に乗って逃げよう』と。それゆえ、お前たちは逃げなければならない。また『速い馬に乗ろう』と言ったゆえに/あなたたちを追う者は速いであろう」(16節)。
慌てたり、急いだり、あちらこちらと駆け回ってみたり、私達は問題を前にしてパニックに陥ることが多いのではないか。この時のユダの人々もまさにそうであった。
しかし、「力」は「安らかに信頼していること」にこそある。主なる神への「信頼」に立って「静かにしているならば救われる」。何故なら、こう約束されているからである。
「それゆえ、主は恵みを与えようとして/あなたたちを待ち/それゆえ、主は憐れみを与えようとして/立ち上がられる。まことに、主は正義の神。なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む人は。まことに、シオンの民、エルサレムに住む者よ/もはや泣くことはない。主はあなたの呼ぶ声に答えて/必ず恵みを与えられる。主がそれを聞いて、直ちに答えてくださる」(18~19節)。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と憐れみの中、御前に引き出し、御言葉と祈りを与えて下さることを心から感謝致します。
主よ、あなたは私を前から後ろから取り囲み、生きるべき道、進むべき道を教えて下さいました。弱く、賢く生きる術も知らず、臆病な私を、あなたは守り導いて下さいました。
多くの失敗がありました。しかし、あなたはそれらを全部背負って赦し、この私をも背負って歩いて下さいました。主よ、あなたは私を前から後ろから取り囲んで下さいます。この幸い、この祝福を何と言って感謝したらよいか、私は言葉を知りません。ただ、主よ、私はあなたのものです。
あなたが選んで与えて下さる全てのもので満たして下さい。あなたが共に喜び、共に悲しんで下さる。あなたが共にいて下さる。それに優る祝福、幸いはありません。感謝します。
今日も尊いあなたの子供達と共にいて、導き満たして下さい。人生の選択をしなければならないお一人お一人に親しく語りかけ、「これが行くべき道だ、ここを歩け」と教えて下さいますようお願い致します。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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