31章にも、「エジプト」に依り頼むことに対する主なる神の警告の言葉が記されている。
「災いだ、助けを求めてエジプトに下り/馬を支えとする者は。彼らは戦車の数が多く/騎兵の数がおびただしいことを頼りとし/イスラエルの聖なる方を仰がず/主を尋ね求めようとしない。しかし、主は知恵に富む方。災いをもたらし/御言葉を無に帰されることはない。立って、災いをもたらす者の家/悪を行う者に味方する者を攻められる。エジプト人は人であって、神ではない。その馬は肉なるものにすぎず、霊ではない。主が御手を伸ばされると/助けを与える者はつまずき/助けを受けている者は倒れ、皆共に滅びる」(1~3節)。
何故主なる神は繰り返し警告されるのか。それは、これほど繰り返されても、ユダの人々が頑なで、主なる神の御声に聞き従おうとしなかったからである。そして、そのような彼らを、主なる神は決して見捨てず、諦めず、イザヤを通して必死に御声をかけ続けられた。
イザヤは人々にこう勧めた。
「イスラエルの人々よ、あなたたちが背き続けてきた方に立ち帰れ」(6節)。
それでも、人々は目に見える「エジプト」や「アッシリア」の脅威の間で右往左往し続けた。イザヤはそのような彼らになお語る。
「アッシリアは倒れる/人間のものではない剣によって。人間のものではない剣が彼らを食い尽くす。彼らは剣を恐れて逃げ/その若者たちは労役に服す。岩ですら恐れのゆえにその場から動き/その長たちは旗を捨てて逃げ去ると/主は言われる」(8~9節)。
このイザヤの言葉を聞いた人々は、嘲笑ったに違いない。目に見える「アッシリア」の力は大きく、その勢いは恐ろしかったからである。しかし、イザヤはなお「主は言われる」と語った。目に見えるものにではなく、主が語られる言葉にどこまでも信頼を置くこと、それが主を信じるということである。
西原新生バプテスト教会
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