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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 イザヤ書27章

聖書日課 イザヤ書27章(新共同訳 旧約pp.1100-1102)

 27章には「ぶどう畑の歌」と呼ばれるものが記されている。5章にも出てきたが、イザヤ書の特徴の一つである。

「その日には、見事なぶどう畑について喜び歌え。主であるわたしはその番人。常に水を注ぎ/害する者のないよう、夜も昼もそれを見守る」(2~3節)。

 主なる神は「ぶどう畑」「番人」であり、水を注ぎ、肥料を与え、「害する者のないよう」に、「夜も昼も」「見守」って下さる。ここで、イエス・キリストが語られた一つのたとえ話を思い浮かべた方がいるかも知れない。

「そして、イエスは次のたとえを話された。『ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。「もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。」園丁は答えた。「御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください」』」(ルカによる福音書13章6~9節)。

 ぶどう園の主人にとっては、採算の取れない〈場所塞ぎ〉でしかない「いちじくの木」も、「園丁」にとっては、昼も夜も手塩にかけて育ててきた〈我が子〉のように大事な存在であったに違いない。だから、園丁は「今年もこのままにしておいてください」と主人に願い出た。

 聖書が教える信仰は、主なる神に徹底的に愛されている自分を見出すことにその基盤がある。たとえ実がならなくても、この世の基準ではどんなに問題だらけの人間でも、主なる神は決して「切り倒」さず、手塩にかけて育てて下さる、待って下さる、愛して下さる。「そんなの甘い!」と言う人がいるかも知れない。しかし、そうでないとすれば、私達は全員、とうの昔に「切り倒」されているのではないか。

 主なる神は、私達を愛し、「夜も昼も」「見守」って下さる。そして、これは主なる神の約束である。

「時が来れば、ヤコブは根を下ろし/イスラエルは芽を出し、花を咲かせ/地上をその実りで満たす」(6節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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