ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 イザヤ書24章

聖書日課 イザヤ書24章(新共同訳 旧約pp.1096-1097)

 24章には「神の世界審判」という見出しが付けられている。この章には、「地」(ヘブライ語でエレツ)という語が16回も使われており、主なる神の審判が全地球、全世界に及ぶものであることが表されている。終末における主の裁きについての預言と思われる。

「見よ、主は地を裸にして、荒廃させ/地の面をゆがめて住民を散らされる。民も祭司も、僕も主人も、女の僕も女主人も/売る者も買う者も、貸す者も借りる者も/債権者も債務者も、すべて同じ運命になる。地は全く裸にされ、強奪に遭う。主がこの言葉を語られた。地は乾き、衰え/世界は枯れ、衰える。地上の最も高貴な民も弱り果てる。地はそこに住む者のゆえに汚された。彼らが律法を犯し、掟を破り/永遠の契約を棄てたからだ。それゆえ、呪いが地を食い尽くし/そこに住む者は罪を負わねばならなかった。それゆえ、地に住む者は焼き尽くされ/わずかの者だけが残された」(1~6節)。

 何故全世界は裁かれるのか。それは、人々が主なる神の教えを破ったからである。しかし、それは全てが終わったということではない。何故なら、そこになお「残された」「わずかな者」がいると言われているからである。

「彼らは声をあげ、主の威光を喜び歌い/海から叫び声をあげる。それゆえ、あなたたちは東の地でも主を尊び/海の島々でも、イスラエルの神、主の御名を尊べ。地の果てから、歌声が聞こえる。『主に従う人に誉れあれ』と」(14~16節)。

〈残りの者〉の存在、これはイザヤ書に特徴的な思想の一つである。たとえこの世界に罪が蔓延り、世界中が汚れにまみれたとしても、主の教えを守り、主ご自身から決して離れない民がどんな時代にも残されている。これは暗闇の中に差し込む一条の光、希望の約束である。

 主なる神が全世界の裁きを遅らせておられるのは、そのためではないか。確かに「その日が来れば、主が罰せられる」(21節)。しかし、「多くの日がたった後、彼らは罰せられる」と言われている(22節)。

 主なる神は、一人でも多くの人が悔い改めて主に立ち帰り、残りの民となって救われることを願っておられる。この世界は、今もそのような主なる神の熱意と忍耐の中に守られている。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com