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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 イザヤ書21章

聖書日課 イザヤ書21章(新共同訳 旧約pp.1091-1092)

 バビロンへの審判については、既に13~14章に記されている。ここで再びバビロン陥落の「託宣」が語られているのは、単なる繰り返しではない。これを語る預言者イザヤの嘆きと苦悩が記されている。

「厳しい幻が、わたしに示された」とイザヤは言う(2節)。

「それゆえ、わたしの腰は激しくもだえ/産婦の痛みのような痛みにとらえられた。わたしは驚きのあまり、聞くこともできず/恐れのあまり、見ることもできない。わが心は乱れ、おののきが、わたしを打ちのめす。楽しみにしていた夕暮れは/かえって、わたしを恐怖に突き落とした」(3~4節)。

 イザヤは、夕べの祈りの時間にこの幻を見たのかも知れない。一日が終わり、楽しい「夕暮れ」の祈りの時が来たのに、それが「恐怖」「おのの」く幻によって一変してしまった。

 主なる神の言葉をいただく時、見たくないものを見、考えたくないことをも考えさせられるということがある。一見平和な時代には、特にそう思えるのではないか。

 バビロンの人々もそうだった。「宴は広げられ、座は整えられ/人々は飲み食いしていた」と言われているような時に(5節)、突如滅亡が訪れた。しかし、その平和は、多くの人々の犠牲の上に成り立った平和であり、傲慢な者の独り善がりな平和と繁栄でしかなかった。

「見張りは叫んだ。『わが主よ、見張り台に/わたしは一日中立ち尽くし/歩哨の部署に/わたしは夜通しついていた。見よ、あそこにやって来た/二頭立ての戦車を駆る者が。』その人は叫んで、言った。『倒れた、倒れた、バビロンが。神々の像はすべて砕かれ、地に落ちた』」(8~9節)。

 イザヤの時代のイスラエルにとっても、大国エジプトや目に見える軍事力に依り頼む平和ではなく、真の神にのみ依り頼む信仰による平和の道を選ぶことが、何よりも確実な生きる道だった。それ故、イザヤに示された「厳しい幻」は、神の民イスラエルに、真の平和と命の道を教えるための大事な幻であったに違いない。

「打たれ、踏みにじられたわたしの民よ/わたしは、あなたたちに告げた/イスラエルの神、万軍の主から/わたしが聞いたことを」(10節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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