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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 イザヤ書17章

聖書日課 イザヤ書17章(新共同訳 旧約pp.1086-1087)

 本章では、まず「ダマスコ」への審判(1~3節)とイスラエル王国への裁きが語られ(4~11節)、続いて「どよめき」「騒ぐ」諸国民が主の「叱咤」によって「遠くへ逃げ」て行ってしまうことが預言されている。

「災いだ、多くの民がどよめく/どよめく海のどよめきのように。国々が騒ぎ立つ/騒ぎ立つ大水の騒ぎのように。国々は、多くの水が騒ぐように騒ぎ立つ。だが、主が叱咤されると彼らは遠くへ逃げる/山の上で、もみ殻が大風に/枯れ葉がつむじ風に追われるように。夕べには、見よ、破滅が襲い/夜の明ける前に消えうせる。これが我々を略奪する者の受ける分/我々を強奪する者の運命だ」(12~14節)。

 イザヤがこの預言を語った時、ダマスコはまだ健在であり、イスラエル王国も力を持っていた。また、周辺諸国も反アッシリア同盟を結んで敵の攻撃に備え臨戦態勢に入っていた。

 しかし、イザヤはそういう目に見える現実の背後に、主なる神の御支配と御旨があることを見ていた。そして、これらの国々があっという間に滅び去ると宣言した。このように、預言者とは、単にその時代の時事問題を語る者ではなく、その現実の中にある主なる神の御心を捉えて伝える者である。

 それ故、目に見えるものしか信じない人々からは、しばしば狂人扱いされた。それでもなお、預言者は主の御心を語り続けた。それは、彼らが皆、罪と滅びという厳しい現実の向こうに主なる神の救いと回復の希望があることを確信していたからである。そのような希望が土台にあるからこそ、預言者は、現実から逃げることなく、しかと受け止めて、厳しい裁きを語り続けることが出来た。

 信仰とは、決して消えることのない希望であり、何があっても決して諦めない心である。その根拠は、人間ではなく、主なる神にある。だから諦めない、だから消え去ることはない。

 諸国民は現実に翻弄されながら「どよめき」「騒ぐ」。しかし、「主が叱咤されると」、彼らは風に吹き飛ばされる「もみ殻」のように、忽ち「遠くへ逃げ」去ってしまう。それに対し、主の御旨に信頼し、主の御支配に依り頼んで生きる者は、必ず裁きと滅亡を乗り越えてなお生き続けることが出来る。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの恵みの中に赦され、生かされていることを感謝します。

 主よ、あなたは私達の中にある汚れ、罪、あなたを無視して自分を良しとするような思いを砕かれます。罪を砕くためにあなたは、私達を人生の苦難の中に陥られます。

 しかし、あなたは私達の中に真実の信仰を創造し、それを残し、守られます。あなたを真実に礼拝し、あなたを愛し、あなたに従うことの喜びと栄光を、あなたは、私達の中に残し、新たなる命を芽吹かせて下さいます。

 主よ、どうか私達を真の礼拝者として下さい。あなたが残して下さっている命を燃え立たせて下さい。あなたを心の奥底に迎えることが出来ますように。

 痛みと苦しみの中にあるお一人お一人を顧みて下さい。癒して下さい。生かして下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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