ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 イザヤ書6章

聖書日課 イザヤ書6章(新共同訳 旧約pp.1069-1070)

 6章には、主なる神の臨在を仰ぎ見たイザヤが、主なる神から召命を受けた出来事が記されている。

「わたしは言った。『災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は/王なる万軍の主を仰ぎ見た』」(5節)。

 主なる神の臨在に触れたイザヤが真っ先に実感したのは、自分は「滅ぼされ」てしまうという恐怖であった。主なる神の全き聖さの御前に立たされたイザヤは、自分が「汚れた」思いと言葉の中に生きる者であることを徹底的に悟らされ、主の御前に恐れをもってひれ伏した。

 勿論、他の人と比べれば、イザヤは真面目で正しく生きていたに違いない。しかし、主なる神の聖さの前では、そのような人間的な違いは一瞬の内に消え去り、ただただ自分の「汚れ」に恐れ慄いた。こういう主なる神の圧倒的な聖さの体験と、徹底的な謙りの経験が、預言者イザヤを生み出していった。

 すると、主の御前に謙るイザヤに、主なる神から遣わされた天使が現れ、「祭壇」「炭火」をもって彼の唇に触れて言った。

「するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。彼はわたしの口に火を触れさせて言った。『見よ、これがあなたの唇に触れたので/あなたの咎は取り去られ、罪は赦された』」(6~7節)。

 こうして、イザヤは、主なる神からの一方的な贖いの御業によって「罪」「汚れ」を清められた。そして、その時彼は「主の御声を聞いた」

「そのとき、わたしは主の御声を聞いた。『誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。』わたしは言った。『わたしがここにおります。わたしを遣わしてください』」(8節)。

「罪」「汚れ」による恐れと不安から解放されたイザヤの新しい一歩の始まりである。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com