聖書日課 コヘレトの言葉9章(新共同訳 旧約pp.1044-1046)
「善人にも悪人にも」、「清い人にも不浄な人にも」、「いけにえをささげる人にもささげない人にも」、等しく「臨む」こと、それは死である。この短い人生、何をしても、どう生きたとしても、人は皆最後に「死ぬ」。
「わたしは心を尽くして次のようなことを明らかにした。すなわち/善人、賢人、そして彼らの働きは/神の手の中にある。愛も、憎しみも、人間は知らない。人間の前にあるすべてのことは/何事も同じで/同じひとつのことが善人にも悪人にも良い人にも/清い人にも不浄な人にも/いけにえをささげる人にもささげない人にも臨む。良い人に起こることが罪を犯す人にも起こり/誓いを立てる人に起こることが/誓いを恐れる人にも起こる。太陽の下に起こるすべてのことの中で最も悪いのは、だれにでも同じひとつのことが臨むこと、その上、生きている間、人の心は悪に満ち、思いは狂っていて、その後は死ぬだけだということ」(1~3節)。
そうであるとすれば、私達はこの人生のどこに望みを置いて生きればよいのか。コヘレトは次のように述べている。
「さあ、喜んであなたのパンを食べ/気持よくあなたの酒を飲むがよい。あなたの業を神は受け入れていてくださる。どのようなときも純白の衣を着て/頭には香油を絶やすな。太陽の下、与えられた空しい人生の日々/愛する妻と共に楽しく生きるがよい。それが、太陽の下で労苦するあなたへの/人生と労苦の報いなのだ。何によらず手をつけたことは熱心にするがよい。いつかは行かなければならないあの陰府には/仕事も企ても、知恵も知識も、もうないのだ」(7~10節)。
「愛する妻と共に楽しく生き」、「熱心に」自分の仕事をすること、それが「人生と労苦の報い」であるとコヘレトは言う。コヘレトは、愛することと働くことの中に人生の報いと意味を見出していた。これは、主なる神を抜きに人生を考える時の、精一杯の答えと言えるかも知れない。
勿論、だからと言って、それが空しい答えだというのではない。主なる神の御前に生きる人生においても、主なる神と隣人を愛し、自分が果たすべき使命に生きることは、永遠の命に至る道であると聖書は教えているからである。愛することと働くこと、これは現代人の多くが見失っていることかも知れない。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの絶大な恵みと慈しみに包んで下さり、御前に引き出して下さったことを、心から感謝します。
主よ、正しく生きることを教えて下さい。悪に傾くこの心を矯正し、あなたに連なる枝として剪定して下さい。
今日、あなたの御思いに従って生きることに永遠の価値があるということを深く理解出来るよう、私達を照らし、導いて下さい。
主よ、私達の目を開いて下さい。永遠という視点から、今の自分の立ち位置を知り、進むべき道、あなたご自身から目を離すことがありませんように。
このような者を握って下さるあなたの御前にひれ伏しながら生きることが出来るよう、助けて下さい。
今日も尊いあなたの子供達の上に、あなたの祝福と導きをお願い致します。死によって限界づけられるこの世の視点から解放し、神の子の尊厳に満たし、尊く生きることが出来るよう、希望と勇気をお与え下さい。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
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