聖書日課 コヘレトの言葉1章(新共同訳 旧約pp.1034-1035)
「コヘレト」とは、ヘブライ語で「伝道者」或いは「集会の指導者」という意味の言葉である。本書の著者と執筆年代については諸説がある。しかし、1節に「エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉」とあるので、伝統的にはソロモンであると言われている。
「コヘレトは言う。なんという空しさ/なんという空しさ、すべては空しい。太陽の下、人は労苦するが/すべての労苦も何になろう」(2~3節)。
本書は、生きる意味と価値はどこにあるのかを探求した書物である。それは歴史の中で古今東西の人々が探求し続けてきたテーマでもある。
「すべては空しい」とコヘレトは言う。「太陽の下」においては、どんなに働いても終わりはなく、毎日が同じことの繰り返しである。いやそれどころか、全てが同じことの繰り返しであって、新しいものなど何一つないとコヘレトは嘆く。
そこで、イスラエルの王であったコヘレトは、「天の下に起こることをすべて知ろうと熱心に探求し、知恵を尽くして調べた」(13節)。しかし…、
「わたしは太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれもみな空しく、風を追うようなことであった」(14節)。
「熱心に求めて知ったことは、結局、知恵も知識も狂気であり愚かであるにすぎないということだ。これも風を追うようなことだと悟った。知恵が深まれば悩みも深まり/知識が増せば痛みも増す」(17~18節)。
何だか、読めば読むほど空しくなってくる内容である。しかし、一つだけ確認しておきたいのは、これらは全て「太陽の下」(3節、9節、14節)或いは「天の下」(13節)に起こることを調べ尽くした結論であるということである。
つまり、ここには主なる神が存在していない。というよりも、罪の故に主なる神から離れ去ってしまった人間とこの世界についての結論である。
罪は「空しさ」を生み出す。罪は、人を主なる神とその愛から遠ざけ、また人と人とを遠ざけ、そして人と自然との調和を破壊する。そういう意味で、この書が罪に陥った地上と人生の「空しさ」を語れば語るほど、罪と滅びから解放された天上での喜びと祝福の輝きが大きく迫って来ると言えるだろう。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの憐れみの中にこの罪深い者を置いて下さり、御顔を仰がせて下さることを、心から感謝致します。
主よ、私は全ての希望を失い、虚しさの中に絶望していました。あなたを否定し、あなたから離れて生きようとしていたからです。私は虚無の中にありました。しかし、あなたは、そのような私のところにやって来て、あなたの光を照らし、あなたご自身の命を私に注ぎ、生かして下さいました。
主よ、あの時から全てが変わりました。全ての中にあなたの希望を見ることが出来るようになりました。あなたを知らなかった時、全てが虚しかった。しかし、あなたと出会ってから、全てに光が照らされました。そして、その光は今まで、一度も消えることも、暗くなることもありませんでした。
主よ、確かにあなたは永遠の光、永遠の創造者でいらっしゃいます。
主よ、更に満ち満ちて下さい。虚しさの中に絶望する者のところを訪れ、あなたご自身が満たし、光を照らして下さい。決して消えることのない永遠の光をそこに灯して下さいますよう、心からお願い致します。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
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