聖書日課 コヘレトの言葉2章(新共同訳 旧約pp.1035-1036)
コヘレトは、大きな事業を起こし、大きな「屋敷を構え」、有り余る豊かな「財産」を得、多くの「側女」を持ち、「男女の奴隷」、「牛や羊」、「金銀」財宝に満ち溢れる人生を歩んだ(4~8節)。
「わたしはこうつぶやいた。『快楽を追ってみよう、愉悦に浸ってみよう。』見よ、それすらも空しかった。笑いに対しては、狂気だと言い/快楽に対しては、何になろうと言った。わたしの心は何事も知恵に聞こうとする。しかしなお、この天の下に生きる短い一生の間、何をすれば人の子らは幸福になるのかを見極めるまで、酒で肉体を刺激し、愚行に身を任せてみようと心に定めた」(1~3節)。
では、その結果はどうだったか。
「かつてエルサレムに住んだ者のだれにもまさって/わたしは大いなるものとなり、栄えたが/なお、知恵はわたしのもとにとどまっていた。目に望ましく映るものは何ひとつ拒まず手に入れ/どのような快楽をも余さず試みた。どのような労苦をもわたしの心は楽しんだ。それが、労苦からわたしが得た分であった。しかし、わたしは顧みた/この手の業、労苦の結果のひとつひとつを。見よ、どれも空しく/風を追うようなことであった。太陽の下に、益となるものは何もない」(9~11節)。
そして、こう呟いた。
「わたしはこうつぶやいた。『愚者に起こることは、わたしにも起こる。より賢くなろうとするのは無駄だ。』これまた空しい、とわたしは思った。賢者も愚者も、永遠に記憶されることはない。やがて来る日には、すべて忘れられてしまう。賢者も愚者も等しく死ぬとは何ということか」(15~16節)。
つまり、人はどんなに知識を得ても、どんなに栄えたとしても、最後は死んで終わりである。そして、それは「愚者」も「知者」も違いはない。そうであるとすれば、人生のどこに幸福があるのか。また、どこに生きる楽しみがあるのか。コヘレトは言う。
「人間にとって最も良いのは、飲み食いし/自分の労苦によって魂を満足させること。しかしそれも、わたしの見たところでは/神の手からいただくもの」(24節)。
「神は、善人と認めた人に知恵と知識と楽しみを与えられる。だが悪人には、ひたすら集め積むことを彼の務めとし、それを善人と認めた人に与えられる。これまた空しく、風を追うようなことだ」(26節)。
人生における真の幸福と喜びは、主なる神を見出し、主なる神と共に生きることにこそある。
明日は日曜日である。聖書の言葉に耳を傾け、イエス・キリストを礼拝するところから一週間を始めよう。イエス・キリストは、必ず祝福して下さる。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな憐れみと慈しみに包まれ、御前に祈りを献げられることを心から感謝致します。
主よ、あなたは私を小さい時から、色々な方法で訓練なさいました。苦しみや他の人が余り経験しないような事柄を通して与えられたものもあります。また仕事を続けることによって得たものもあります。これら全ては、あなたが私に下さったもの、あなたのものです。
全てのものをあなたにお返ししながらこの世の生涯を送ることが出来るよう、導いて下さい。そして、主よ、どうかこの悪い心もあなたの御前に捨てながら生きていくことが出来ますよう、助けて下さい。あなたは、このような者を決して見捨てず、握って下さる方です。主よ、感謝します。
今日もあなたの子供のお一人お一人をあなたご自身が守り導いて下さい。あなたに与えられたものをあなたにお返ししながら生きていく平安と希望をお一人お一人が経験することが出来ますように。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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