聖書日課 コヘレトの言葉7章(新共同訳 旧約pp.1041-1043)
7章では、初めに箴言に似た様々な処世訓が述べられ、最後にそれらの結論としての言葉が記されている。処世訓の内容は様々だが、それぞれ味わい深い。また有用なものも沢山ある。しかし、コヘレトは、それらの「知恵を尽くして試してみた」けれども、自分はまだ「賢者」とは程遠い者であると告白している。
「わたしはこういうことをすべて/知恵を尽くして試してみた。賢者でありたいと思ったが/それはわたしから遠いことであった。存在したことは、はるかに遠く/その深い深いところを誰が見いだせようか」(23~24節)。
これほど科学が進歩した今も、人間は相変わらず、宇宙についても自分自身についても、その「存在」の起源も意味も目的も分からないままである。いや、知れば知るほど分からないことが多くなると言ってもいいだろう。そうであるとすれば、知っていると思っている者よりも、自分自身の無知を弁えている者の方が、寧ろ賢いということになる。
その点で、コヘレトは、確かに当時の誰にも勝って知恵を深めた人物と言ってよいだろう。それは、彼が自分の無知を弁える謙遜さを持っていたからである。
そして、コヘレトはこう結論付けている。
「見よ、これがわたしの見いだしたところ/──コヘレトの言葉──/ひとつひとつ調べて見いだした結論。わたしの魂はなお尋ね求めて見いださなかった。千人に一人という男はいたが/千人に一人として、良い女は見いださなかった。ただし見よ、見いだしたことがある。神は人間をまっすぐに造られたが/人間は複雑な考え方をしたがる、ということ」(27~29節)。
ここでは、「男」でも「女」でも、正しい人間、賢い人間を見出すことは殆ど不可能であると言われている。「神は人間をまっすぐに造られたが」、人間は主なる神に逆らって自分勝手な考えで歩むようになってしまったからである。
主なる神の知恵に勝る知恵、主なる神の正しさに勝る正しさなどある筈がない。主なる神の知恵に聞き従うことが真の知恵である。
西原新生バプテスト教会
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