主なる神を信じて生きることの無力さや愚かさを語る人々は世に多い。いや、イエス・キリストを信じている筈のキリスト者であっても、世の中の矛盾や不条理を見る時、「神様は本当にいらっしゃるのだろうか?」という不安に駆られることがあるかも知れない。
「主を、わたしは避けどころとしている。どうしてあなたたちはわたしの魂に言うのか/『鳥のように山へ逃れよ。見よ、主に逆らう者が弓を張り、弦に矢をつがえ/闇の中から心のまっすぐな人を射ようとしている。世の秩序が覆っているのに/主に従う人に何ができようか』と」(1~3節)。
しかし、ダビデはこう宣言する。
「主は聖なる宮にいます。主は天に御座を置かれる。御目は人の子らを見渡し/そのまぶたは人の子らを調べる」(4節)。
不条理としか言いようのない現実の苦しみの中で、なおその臨在と支配を信じて主なる神を仰ぎ見ること、そこに〈信仰〉がある。目には見ることが出来ない。それどころか、目に見えるものは、主なる神の支配に反する現実ばかりである。しかし、霊の目、信仰の目は、肉の目には見ることの出来ない主なる神の姿を見、主なる神の支配を確かに見る。それが〈信仰〉というものである。
ダビデは更に続ける。
「主は、主に従う人と逆らう者を調べ/不法を愛する者を憎み/逆らう者に災いの火を降らせ、熱風を送り/燃える硫黄をその杯に注がれる。主は正しくいまし、恵みの業を愛し/御顔を心のまっすぐな人に向けてくださる」(5~7節)。
これは信仰が与える確信であり喜びである。世の現実に目を向けるのではなく、主なる神の支配という現実に信仰の目を向ける時、主なる神が私達に愛と栄光に輝く「御顔を向けて」下さっていることが分かる。それは何よりも大きな慰めであり、励ましであり、喜びである。
今、あなたの心の目には、主なる神の「御顔」が見えているだろうか?
西原新生バプテスト教会
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