ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

金持ちになる

金持ちになる

 金持ちになることには二つの面がある。

 聖書では、契約の民に〈物質的祝福〉が約束されている。申命記においてそのように主なる神が約束されている。だから富を得ようとするのは間違いではない。

 但し、それには「主の御声に聞き従うならば」という条件があることを忘れてはならない。

「もし、あなたがあなたの神、主の御声によく聞き従い、今日わたしが命じる戒めをことごとく忠実に守るならば、あなたの神、主は、あなたを地上のあらゆる国民にはるかにまさったものとしてくださる。あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、これらの祝福はすべてあなたに臨み、実現するであろう。あなたは町にいても祝福され、野にいても祝福される。あなたの身から生まれる子も土地の実りも、家畜の産むもの、すなわち牛の子や羊の子も祝福され、籠もこね鉢も祝福される。あなたは入るときも祝福され、出て行くときも祝福される。主は、あなたに立ち向かう敵を目の前で撃ち破られる。敵は一つの道から攻めて来るが、あなたの前に敗れて七つの道に逃げ去る。主は、あなたのために、あなたの穀倉に対しても、あなたの手の働きすべてに対しても祝福を定められ、あなたの神、主が与えられる土地であなたを祝福される」(申命記28章1~8節)。

 富は、契約履行に伴う主なる神の「祝福」として与えられる。それは、私達が御言葉を聞き従う時、「臨み、実現する」

「富を得ようとして労するな/分別をもって、やめておくがよい」(箴言23章4節)。

「忠実な人は多くの祝福を受ける。富むことにはやる者は罰せられずには済まない」(箴言28章20節)。

「何よりもまず、神の国と神の義を求め」る時、私達に必要なものは与えられる(マタイによる福音書6章33節)。金銭が与えられるのは、主なる神のご栄光が現れるためである。倫理を無視して、権力だけ、富だけを求めて「はやる者は罰せられ」る。

 まず主なる神の御言葉への「忠実」、その結果としての「祝福」である。