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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編142編

聖書日課 詩編142編(新共同訳 旧約pp.982-983)

 表題によると、第142編は、ダビデがサウル王の手を逃れて「洞穴」の中に隠れていた時の祈りである。

「【マスキールダビデの詩。ダビデが洞穴にいたとき。祈り。】声をあげ、主に向かって叫び/声をあげ、主に向かって憐れみを求めよう。御前にわたしの悩みを注ぎ出し/御前に苦しみを訴えよう。わたしの霊がなえ果てているとき/わたしがどのような道に行こうとするか/あなたはご存じです。その道を行けば/そこには罠が仕掛けられています。目を注いで御覧ください。右に立ってくれる友もなく/逃れ場は失われ/命を助けようとしてくれる人もありません。主よ、あなたに向かって叫び、申します/『あなたはわたしの避けどころ/命あるものの地で/わたしの分となってくださる方』と。わたしの叫びに耳を傾けてください。わたしは甚だしく卑しめられています。迫害する者から助け出してください。彼らはわたしよりも強いのです。わたしの魂を枷から引き出してください。あなたの御名に感謝することができますように。主に従う人々がわたしを冠としますように。あなたがわたしに報いてくださいますように」(1~8節)。

 ダビデはまだ少年だった時、次期イスラエルの王として祭司サムエルによって油を注がれた。しかし、それが実現するのは、何年もの年月が経過した後だった。その間の多くの歳月、ダビデは、謂れのない恨みをかって命を狙われる身となり、辛く苦しい逃亡生活を余儀なくされた。この詩も、そのような逃亡の日々の中で書かれたもので、しかも洞窟の中に隠れていなくてはならないほどに緊迫した状況に陥っていた。

 何故主なる神は、ダビデをすぐにイスラエルの王とされなかったのだろうか。また、主なる神は何故、油注がれたダビデにこれほどの苦しみを長い間お与えになったのだろうか。

 その理由は、残念ながら私達には分からない。しかし、一つだけ言えるのは、この長い試練の日々によって、ダビデの信仰は練り上げられ、深められ、強められ、より一層揺るぎないものとなっていったということである。並みいる歴代のイスラエルの王の中でも、ダビデの存在が圧倒的に輝いているのも、この辛く苦しい試練の日々があったからに違いない。

 ダビデの苦しみを思う時、次の聖書の言葉が浮かんでくる。

「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです」(ヘブライ人への手紙12章11節)。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と恵みの中、御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。

 主よ、私達は本当に疲れ果てることがあります。心が全く動かなくなるほど、何も感じなくなるほど、霊が衰え果てることがあります。あなたのことを思い出そうとしても、心が動かない時、あなたは、そのような私達を握り、背負って下さいます。

 主よ、普段からあなたとの交わりを深めることが出来ますように。あなたがどんな方なのか、それを深く知ることが出来ますよう、私達を導いて下さい。そうすれば、いずれ必ずやって来る試みの時、危機の時に、全てをあなたに委ねることが出来るでしょう。

 主よ、どうか今日もお一人お一人と共にあって、支えて下さい。祈ることも出来ないほど心も霊も衰え果てている方々を背負い、今日の道を進ませて下さい。あなたこそ、お一人お一人の道です。お一人お一人があなたの大きな背中に全てを委ねることが出来ますように。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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