ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編57編

聖書日課 詩編57編(新共同訳 旧約pp.890-891)

 敵の手を「逃れ」「洞窟」の中に隠れなければならない状況というのは、現在の私達の日常生活には起こり得ないことかも知れない。しかし、窮地に追い込まれたり、八方塞がりの状況に陥るという意味では、誰もが人生に何度か同じような経験をするのではないか。そういう意味で、ダビデの生き方は、私達にとって貴重なモデルである。

「【指揮者によって。「滅ぼさないでください」に合わせて。ダビデの詩。ミクタム。ダビデがサウルを逃れて洞窟にいたとき。】憐れんでください/神よ、わたしを憐れんでください。わたしの魂はあなたを避けどころとし/災いの過ぎ去るまで/あなたの翼の陰を避けどころとします。いと高き神を呼びます/わたしのために何事も成し遂げてくださる神を。天から遣わしてください/神よ、遣わしてください、慈しみとまことを。わたしを踏みにじる者の嘲りから/わたしを救ってください。[セラ わたしの魂は獅子の中に/火を吐く人の子らの中に伏しています。彼らの歯は槍のように、矢のように/舌は剣のように、鋭いのです」(1~5節)。

 ダビデは、どのような窮地に追い込まれても、主なる神に祈ることを知っていた。「いと高き神を呼び」、その「慈しみとまこと」に依り頼むことを知っていた。

 苦しい時に祈るのは、一見当たり前のように思えるかも知れない。しかし、苦難の中で、自棄になったり諦めたりすることなく、主なる神の御前に助けを祈り求めることは、信仰による行為である。

 ダビデは本気で信じていた。主なる神は「わたしのために何事も成し遂げてくださる神」であるということを。だからこそ、自棄になったり投げやりになることなく、主に向かって叫び、祈り、求め続けた。そのようにして、ダビデは常に主の御前に自らの心を確かに保ち続けた。

「わたしは心を確かにします。神よ、わたしは心を確かにして/あなたに賛美の歌をうたいます。目覚めよ、わたしの誉れよ/目覚めよ、竪琴よ、琴よ。わたしは曙を呼び覚まそう」(8~9節)。

 主なる神への「賛美」は、満たされている時だけのものではない。苦難の時、窮地に追い込まれた時でさえも、主の御前にひれ伏し祈る中から、平安と賛美の歌が内側から湧き上がってくる。それは主に依り頼む者が経験する不思議で力強い主なる神の奇跡である。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの光の中に私達を置き、御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。

 主よ、この不況の中で苦しみ、心挫け、希望を失っている多くの方々がおられます。あなたはお一人お一人をご存知です。主よ、お一人お一人にあなたが創造された「魂」、お一人お一人に与えられた「誉れ」を顧みて下さい。苦しみの中でうなだれ、眠ってしまっている「誉れ」にあなたの光を照らして下さい。目覚めさせて下さい。

 主よ、苦しみの中にあってもなお、あなたに向かって「賛美」を歌うことが出来ますように。あなたの希望を注いで下さい。

 そして、その問題の只中にあなたの解決を与え、苦しみから救い出して下さいますよう、心からお願い致します。

 主よ、来週はイースターです。あの弱く卑しめられていた弟子達が、復活された御子イエス・キリストより、あなたの御霊を注がれて新たにされ、立ち上がったように、私達一人一人にもあなたの御霊を注いで新たにして下さい。塵の中から立ち上がらせて下さい。あなたの御霊だけが為し得る、聖霊の御業を拝させて下さい。あなたの栄光がほめたたえますように。

 心から感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com