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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編139編

聖書日課 詩編139編(新共同訳 旧約pp.979-980)

 第139編は、主なる神の遍在、全知・全能、そして創造の御業をテーマにした素晴らしい詩である。主なる神の偏在や全知・全能といった神学的なテーマが、詩人の実体験に基づく地に着いた言葉で言い表されている。1~6節を読んでみると、それがよく分かる。

「【指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。】主よ、あなたはわたしを究め/わたしを知っておられる。座るのも立つのも知り/遠くからわたしの計らいを悟っておられる。歩くのも伏すのも見分け/わたしの道にことごとく通じておられる。わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに/主よ、あなたはすべてを知っておられる。前からも後ろからもわたしを囲み/御手をわたしの上に置いていてくださる。その驚くべき知識はわたしを超え/あまりにも高くて到達できない」(1~6節)。

 そして、今日特に注目したいのは、以下の御言葉である。

「どこに行けば/あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。天に登ろうとも、あなたはそこにいまし/陰府に身を横たえようとも/見よ、あなたはそこにいます」(7~8節)。

 主なる神はどこにでもおられる。主なる神の目と手の届かない所は、天地に一つもない。それが主なる神の遍在ということである。しかし、私達は、理屈としてはそれを理解しても、実感としては曖昧ということはないだろうか。主なる神が「天」におられるということは素直に受け入れられても、「陰府」にもおられるなどとても信じられない、というのが本音ではないだろうか。

 しかし、確かに主なる神は「陰府」にもおられる。いや、そうだからこそ主なる神である。この詩人は、バビロン捕囚の苦しみの中で、それを確信したに違いない。

 今、私達は、更に確かにそう信じることが出来る。それは、私達の罪を背負い、十字架にかかって死なれたイエス・キリストが、陰府にまで下られた御方だからである。だから、私達は使徒パウロと共にこう宣言することが出来る。

「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(ローマの信徒への手紙8章38~39節)。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの絶大な恵み、深い慈しみに守られ、支えられて、御前に祈りを献げられることを心から感謝致します。

 主よ、あなたは私の全てを知って下さっています。あなたが私を造り、私を育て、私を生かして下さっています。私の中にある悪いところも、あなたはご存知で、そこに光を照らして下さいます。あなたの光によって、私の中の暗闇は照らされ、そこにあなたの解決が与えられます。

 主よ、どうか、更に深く知って下さい。私の表面的な意識が届かない、私の深い願いを知って下さい。そして、その思いをしっかりと握って、私を永遠の道へとお導き下さい。

 今日も尊いあなたの子供達の上に、あなたの恵みと慈しみを溢れさせて下さい。お一人お一人の深い思い、あなたでなければ与えることの出来ない満たし、あなただけが与えることの出来る解決を、お一人お一人に与えて下さいますよう、心からお願い致します。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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