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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編127編

聖書日課 詩編127編(新共同訳 旧約pp.971-972)

 或る神学者は、第127編はバビロン捕囚を背景として詠われた詩ではないかと言っている。

「【都に上る歌。ソロモンの詩。】主御自身が建ててくださるのでなければ/家を建てる人の労苦はむなしい。主御自身が守ってくださるのでなければ/町を守る人が目覚めているのもむなしい。朝早く起き、夜おそく休み/焦慮してパンを食べる人よ/それは、むなしいことではないか/主は愛する者に眠りをお与えになるのだから。見よ、子らは主からいただく嗣業。胎の実りは報い。若くて生んだ子らは、勇士の手の中の矢。いかに幸いなことか/矢筒をこの矢で満たす人は。町の門で敵と論争するときも/恥をこうむることはない」(1~5節)。

 どんなに立派な「家を建て」ようとしても、そこに主なる神の臨在がなければ空しい。また、人間の力でどんなに頑張って国を守ろうとしても、「主御自身が守ってくださ」らない限り、その努力は徒労に終わる。

 家庭も、仕事も、そして国家も、主なる神の臨在なくして本当の安心はなく、本当の幸福はない。私達は、このことをどれほど本気で受けとめているだろうか。家族と過ごす日常の中で、或いは忙しい仕事の毎日の中で、そして社会における現実の中で、私達は本当に主なる神の臨在と力に信頼し、それを求め、それに従って生きているだろうか。私達の家庭が、職場が、そして社会が抱えている多くの問題は、実はここに原因があるとは言えないだろうか。

 山上の説教で、イエス・キリストが開口一番に語られた言葉を思い出す。

「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」(マタイによる福音書5章3節)。

「貧しい」とは「空っぽ」という意味で、「心の貧しい人々」というのは、この世のいかなるものによっても魂が満たされることのない人々、つまり、主なる神の臨在と祝福以外、本当に心を満たすものはないことを知っている人々という意味である。イエス・キリストは、このような人々を指してこの言葉を宣言された。

 今、私達の心はどんなもので一杯になっているだろうか。それは本当に魂を満たすものだろうか。

「主御自身が建ててくださるのでなければ/家を建てる人の労苦はむなしい。主御自身が守ってくださるのでなければ/町を守る人が目覚めているのもむなしい」

「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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