第24編は、「王」なる主を迎え、その「栄光」をほめたたえる詩である。或る人は、この詩を、イスラエルの民が主なる神の臨在の箱をイスラエルに迎え入れる時に歌われたものであると説明している。
「【ダビデの詩。賛歌。】地とそこに満ちるもの/世界とそこに住むものは、主のもの。主は、大海の上に地の基を置き/潮の流れの上に世界を築かれた。どのような人が、主の山に上り/聖所に立つことができるのか。それは、潔白な手と清い心をもつ人。むなしいものに魂を奪われることなく/欺くものによって誓うことをしない人。主はそのような人を祝福し/救いの神は恵みをお与えになる。それは主を求める人/ヤコブの神よ、御顔を尋ね求める人。[セラ」(1~6節)。
世界の全ては「主のもの」であり、主なる神が「地の基を置き」、「世界を築かれた」。そのような偉大な神が宿る「聖所に立つ」に相応しい人とはどのような者かとダビデは問いかける。
それは、ただ主に心を向け、「清い心」を持ち、「潔白」な行いに生きる人であるとダビデは言う。主は「そのような人を祝福し」、「恵みをお与えになる」。
そう言われると、自分のような者は「聖所に立つ」ことなど到底出来ないと感じる方も多いことだろう。しかし、それでよい。いや、そうでなければ、寧ろ危険かも知れない。自分自身の罪と汚れを自覚し、主の御前にひれ伏す者であるからこそ、贖い主であるイエス・キリストの赦しと救いを感謝をもっていただくことが出来るからである。大切なのは、自らの罪と汚れを自覚し、「主を求め」、主の「御顔を尋ね求める」ことである。
このような罪ある汚れた私達を、主はなお愛し、なお赦し、なお祝福して下さった。そのような喜びと平安に満たされた人々が、今、「栄光に輝く王」を賛美と感謝をもってお迎えしようとしている。
「城門よ、頭を上げよ/とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。栄光に輝く王とは誰か。強く雄々しい主、雄々しく戦われる主。城門よ、頭を上げよ/とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。栄光に輝く王とは誰か。万軍の主、主こそ栄光に輝く王。[セラ」(7~10節)。
私達の献げる礼拝が、いつもこのような喜びと賛美に満ち溢れるものであるように!
西原新生バプテスト教会
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