第60編は、ダビデ王がアラム軍と戦っていた時、「エドム」が参戦して攻撃を仕掛けてきたため、急ぎ将軍「ヨアブ」が派遣されて「エドム」を撃退したのを記念したものと表題に記されている。一時的な苦戦と敗北の末の勝利を歌う、信仰の戦いの歌である。
「【指揮者によって。「ゆり」に合わせて。定め。ミクタム。ダビデの詩。教え。ダビデがアラム・ナハライムおよびツォバのアラムと戦い、ヨアブが帰って来て塩の谷で一万二千人のエドム人を討ち取ったとき。】神よ、あなたは我らを突き放し/怒って我らを散らされた。どうか我らを立ち帰らせてください。あなたは大地を揺るがせ、打ち砕かれた。どうか砕かれたところを癒してください/大地は動揺しています」(1~4節)。
苦戦と敗北は、主なる神の怒りの結果であり(3節)、人々の不信仰と不従順が主なる神の怒りを引き起こす原因となっていたものと思われる。
興味深いのは5節と6節の言葉である。
「あなたは御自分の民に辛苦を思い知らせ/よろめき倒れるほど、辛苦の酒を飲ませられた。あなたを畏れる人に対してそれを警告とし/真理を前にして/その警告を受け入れるようにされた。[セラ」(5~6節)。
不信仰と不従順故の「辛苦」は、主なる神の「警告」であり、主なる神を「畏れ」敬う人々が「その警告を受け入れる」ために用いられるというのである。その意味で、主なる神の裁きは、主なる神を信じる者の回復と再起のための契機となるものでもある。
それ故、ダビデは苦しみの中でこう祈った。
「神よ、あなたは我らを突き放されたのか。神よ、あなたは/我らと共に出陣してくださらないのか。どうか我らを助け、敵からお救いください。人間の与える救いはむなしいものです。神と共に我らは力を振るいます。神が敵を踏みにじってくださいます」(12~14節)。
不信仰と不従順の罪を悔い改め、再び主なる神に依り頼んで祈り立ち上がると、主なる神は依り頼む者と「共に」いて「力を振るい」、敵を「踏みにじって」「助け」出して下さった。「神と共に我らは力を振るいます」と喜びをもって告白する者でありたい。
西原新生バプテスト教会
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