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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編58編

聖書日課 詩編58編(新共同訳 旧約p.891)

 第58編は「神に逆ら」い、「不法」を行う者の裁きと滅びを願い求める激しい内容の詩である。このような詩は〈呪いの詩編〉と呼ばれることがあるが、詩編の中に何編か存在している。

「神に逆らう者は/母の胎にあるときから汚らわしく/欺いて語る者は/母の腹にあるときから迷いに陥っている。蛇の毒にも似た毒を持ち/耳の聞こえないコブラのように耳をふさいで/蛇使いの声にも/巧みに呪文を唱える者の呪文にも従おうとしない。神が彼らの口から歯を抜き去ってくださるように。主が獅子の牙を折ってくださるように。彼らは水のように捨てられ、流れ去るがよい。神の矢に射られて衰え果て/なめくじのように溶け/太陽を仰ぐことのない流産の子となるがよい。鍋が柴の炎に焼けるよりも速く/生きながら、怒りの炎に巻き込まれるがよい。神に従う人はこの報復を見て喜び/神に逆らう者の血で足を洗うであろう。人は言う。『神に従う人は必ず実を結ぶ。神はいます。神はこの地を裁かれる』」(4~12節)。

「不法」を行い、「裁き」を曲げるような者に対する怒りは、確かに正しい怒りと言えるかも知れない。しかし、たとえ敵とはいえ、主なる神を信じる信仰者が、相手を呪ったり相手の滅びを見て喜ぶというのは、行き過ぎではないだろうか?

 ここで大切なのは、ダビデが、あくまでも主なる神による裁きを願っていることである。自らが手を出すのではなく、主なる神が正しく裁かれることを期待している。つまり、報復は主ご自身にお任せしている。これが復讐に関する聖書の原則である。

愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『「復讐はわたしのすること、わたしが報復すると主は言われる』と書いてあります。『あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。』悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」(ローマの信徒への手紙12章19~21節)。

「悪に負け」てはならない! 「善をもって悪に勝」つ、それが主なる神の願いであり御心である。それ故、怒りは主なる神に打ち明け、主の御手に委ねよう。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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