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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 コリントの信徒への手紙一9章

聖書日課 コリントの信徒への手紙一9章(新共同訳 新約pp.310-311)

 パウロは、主イエス・キリストと共に活動した十二使徒ではなかった。地上におられたイエス・キリストから直接に召しを受けたわけではなかった。そのため、パウロ使徒として認めない人々がいた。そして、彼はしばしば非難を受けた。

 本章で、パウロは、自分が使徒であることを弁明している。その何よりの証拠は、彼の働きによって、コリント教会の人々がキリスト者とされたことであるとパウロは述べている。

「他の人たちにとってわたしは使徒でないにしても、少なくともあなたがたにとっては使徒なのです。あなたがたは主に結ばれており、わたしが使徒であることの生きた証拠だからです」(2節)。

 しかし、パウロは、他の使徒達のように、コリントの教会から報酬を受けることをしなかった。勿論、パウロにも報酬を受ける権利はあった。しかし、彼は敢えてその権利を用いなかった(12節、15節)。ところが、そのことが却って、パウロ使徒ではないという非難を招くことになった。そのため、パウロは弁明せざるを得なかった。

 パウロは、報酬を受けないことは「わたしの誇り」(16節)であり、「福音を告げ知らせるときに、それを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということ」「わたしの報酬」であると言った(18節)。しかし、そこには更に深いパウロの思いと決心があった。そのことについてパウロは次のように述べている。

「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです」(19節)。

「弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです」(22節)。

 パウロは、福音に全てを懸けていた。ここに記されているように、「福音のためになら」「どんなことでもし」(23節)、福音宣教の妨げになるなら進んで自分を変えようとした。報酬を受けないのもそういう配慮からであった。このようにして、パウロ使徒としての務めを果たしていた。またそれは、自らも「福音に共にあずかる者となるため」(23節)であった。パウロは、それを栄冠を目指して競技をする人に喩えて、次のように述べている。

「競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。だから、わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです」(25~27節)。

 私達には、それぞれ救われた者としての務めがあり使命がある。その務めを果たし福音に与る者となるために、私達も「節制」と「服従」が大切であることを覚えたい。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町字内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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