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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 コリントの信徒への手紙一5章

聖書日課 コリントの信徒への手紙一5章(新共同訳 新約pp.304-305)

「わたしが書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の物を奪う者がいれば、つきあうな、そのような人とは一緒に食事もするな、ということだったのです。外部の人々を裁くことは、わたしの務めでしょうか。内部の人々をこそ、あなたがたは裁くべきではありませんか。外部の人々は神がお裁きになります。『あなたがたの中から悪い者を除き去りなさい』」(11~13節)。

 前章で「主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません」(4章5節)と言ったパウロが、ここでは「裁くべきではありませんか」(12節)と言っている。これはどういうことだろうか?

 実は、コリントの教会には、「父の妻をわがものとしている」という「異邦人の間にもないほどのみだらな行い」を犯している信者がいた(1節)。ところが、コリントの人々は、そのような罪を放置していた(2節)。パウロは、そのような自堕落で曖昧な態度に対して、深い憂いと強い怒りを覚えていた。

 それは、罪を犯した本人だけでなく、そのような罪を目の当たりにしながら何も対処しない教会の人々に対する憂いであり怒りであった。何故なら、そのまま放っておけば、「わずかなパン種が練り粉全体を膨らませる」(6節)ように、教会全体に罪と汚れが蔓延する危険性があったからである。それ故、パウロは、そのような事態にならないよう、「古いパン種をきれいに取り除きなさい」(7節)と率直に命じた。

 勿論、だからと言ってパウロは、罪を犯した本人が滅びればよいと願っていたわけではない。「それは主の日に彼の霊が救われるためです」(5節)と言っているように、一時罪の故に裁かれたとしても、霊まで滅びることがないようパウロは願っていた。

 このようなことは、私達の教会、家族、グループ、或いは職場でも起こり得る。私達の仲間に、明らかに罪に陥った人がいる場合、本人がすぐに悔い改めて罪から離れるならよい。しかし、そのような状態が放置されていれば、やがて周りにも影響を及ぼす。その結果、全体が弱められ、混乱と滅亡を招いてしまう

 特に、こういう問題は、コリント教会のように、分裂分派の争いがある場合に起こり易い。心を一つにして祈り合う教会や仲間は、たとえ問題が起こっても、祈りと愛によって解決出来る可能性が大きいと言えるだろう。

 いずれにしても、本人と全体を救うために、罪を取り除く〈痛み〉を受け入れる信仰と勇気が必要である

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町字内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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