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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 コリントの信徒への手紙一4章

聖書日課 コリントの信徒への手紙一4章(新共同訳 新約pp.303-304)

 パウロは、イエス・キリストによって召された使徒として、自分の使命に忠実に生きた。彼は、自分を、「キリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者」(1節)であると言い、「管理者に要求されるのは忠実であることです」(2節)と語っている。

〈忠実な管理者〉というのは、ただ言われたことをやっていればそれで良いと考える人ではない。主人の思いや考えを正確に弁え、主人が願っている成果を上げることが出来るよう、いつも考えながら、積極的に自分の役割を果たす人である。パウロは、そういう〈忠実な管理者〉として、至る所で福音を宣べ伝えていた。

 ところが、主なる神に対して「忠実であること」は、主の御前では称賛されることであるが、人々の前では、却って非難の対象とされることがある。コリントの教会の中にも、パウロに対する非難の声があった。パウロは、それを次のように書いている。

「考えてみると、神はわたしたち使徒を、まるで死刑囚のように最後に引き出される者となさいました。わたしたちは世界中に、天使にも人にも、見せ物となったからです。わたしたちはキリストのために愚か者となっているが、あなたがたはキリストを信じて賢い者となっています。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊敬されているが、わたしたちは侮辱されています」(9~10節)。

 しかし、パウロは、そのような人間の裁きや侮辱に対して、「わたしにとっては、あなたがたから裁かれようと、人間の法廷で裁かれようと、少しも問題ではありません」(3節)と断言した。

「わたしは、自分で自分を裁くことすらしません。自分には何もやましいところはないが、それでわたしが義とされているわけではありません。わたしを裁くのは主なのです。ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません。主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります」(3~5節)。

 パウロは、主によって召された管理者として忠実に主に仕えると共に、自分を評価することにおいても、人ではなく主なる神に全てを委ねていた。そういう意味で、主なる神に対してどこまでも忠実な僕だった。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町字内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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