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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 コリントの信徒への手紙一12章

聖書日課 コリントの信徒への手紙一12章(新共同訳 新約pp.315-317)

 コリント教会の信徒達は、「賜物」の豊かな人々だった。しかし、彼らの間には不一致があり、争いが絶えることがなかった。そのため、パウロは次のように教えた。

「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です」(4~6節)。

「賜物」の違いに目を留めるのではなく、「賜物」「お与えになる」唯一の主なる神に目を向けることが大切である。そもそも、主なる神が見えなくなっているからこそ、争いが起こっているとも言える。主なる神から目を離してはならない。

 また、パウロ「賜物」が与えられた目的に注目させている。

「一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています」(7~10節)。

「賜物」は、一人一人を目立たせるためではなく、一人一人の「賜物」が生かされて、「全体の益となるため」に与えられている。つまり、互いに仕え合うことの中にこそ、「賜物」が与えられた意味がある。仕える心を持たないなら、「賜物」は役に立たないだけでなく、争いのもとにさえなってしまう。

 コリント教会の信徒達には、このような理解と視点が欠けていた。そのため、どちらが偉いとか、どちらが強いとか言い争っていた。それ故、パウロは、次のように問いかけた。

「皆が使徒であろうか。皆が預言者であろうか。皆が教師であろうか。皆が奇跡を行う者であろうか。皆が病気をいやす賜物を持っているだろうか。皆が異言を語るだろうか。皆がそれを解釈するだろうか。あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい」(29~31節)。

「もっと大きな賜物」…それが次章に記されている「最も大いなるもの」である(13章13節)。

祈り
 愛する天のお父様、今日も御言葉をいただき、ありがとうございます。このようにして、教会がキリストの体であること、教会生活において聖霊の働きが必要であることを確認出来、心より感謝申し上げます。

 天のお父様、私達が御子イエス・キリストを主と信じ、イエス・キリストのものとされた時、同時に聖霊によって「一つの体となるために」バプテスマを受けました(13節)。だから、私達は教会を他人事のように話すことは出来ません。キリストの体の一部としていただき、ありがとうございます。

 主よ、使徒パウロは、礼拝の秩序について語る中で、それに続けて、聖霊の賜物を秩序をもって用いていくことを、私達に教えてくれました。聖霊は私達が「全体の益となる」ことを為すために働いて下さいます(7節)。主よ、私達が聖霊を求めることによって、御子イエス・キリストの御心を、御力をもっと知ることが出来ますよう助けて下さい。また、私達をイエス・キリストと同じように「柔和で謙遜な者」、またイエス・キリストからの「負いやす」い軛を担う者として下さい(マタイによる福音書11章29~30節)。私達にはこれが足りません。私達を聖霊に満たして下さい。そして私達をイエス・キリストのご栄光が現れる教会として下さい。

 天のお父様、「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶ」というパウロが示してくれた教会の姿を忘れず(26節)、主にある兄弟姉妹と互いに祈り合い、労り合っていくことが出来ますように。

 特に、長く教会に来られなくなっている方のことを覚えて祈ります。病のため、人生の様々な苦しみのため、礼拝への招きに応えることが出来なくなっている方がいます。その中には、祈ることも、聖書を読むことも出来なくなっている方がいるかも知れません。しかし、御子イエス・キリストは、その方を欠くことの出来ないご自分の「体の一部」として大切にし(15~16節)、愛しておられます。どうかその方に御子の血潮を注いで下さい。御子の血潮が流れ込んでくる時、私達は再び立ち上がることが出来ます。キリストの「体の一部」であることの喜びの中に生きることが出来ます。

 私自身、礼拝に行くことも、祈ることも、聖書を読むこともやめてしまった時期がありました。しかし、そのような私のために祈り続けてくれていた人がいました。御子イエス・キリストは、私をご自分の「体の一部」として、御手の中にしっかりと握りしめて下さっていました。そして、私を再び喜びと命の中に生かすために、命を溢れるように注いで下さいました。

 今、痛みと苦しみの中にあるお一人お一人が、あなたに出会い、御子イエス・キリストの命の中に立ち上がる時が来ることを信じています。どうかそのお一人お一人を支え、導いて下さい。私も、その方を覚えて、祈ることが出来ますように。そして、その方と、あなたの御前に感謝の賛美、喜びの賛美を共に献げる日が訪れますように。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈りをお献げ致します。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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