聖書日課 テモテへの手紙一4章(新共同訳 新約p.387)
3章で、パウロは「信心の秘められた真理」(3章16節)について語ったが、4章では、「信心のために自分を鍛えなさい」(7節)とテモテに勧めている。
「俗悪で愚にもつかない作り話は退けなさい。信心のために自分を鍛えなさい。体の鍛練も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです」(7~8節)。
日本語の「信心」には〈敬虔〉というイメージがある。しかし、パウロが言う「信心」とは、敬虔そうなふりをすることではない。私の霊にある信仰が、私の心に現され、そして生活にも現れていくことである。
イエス・キリストを信じた人の霊には、聖霊が住んでおられる。聖霊は、私達の霊から影響を与えて、イエス・キリストの姿を現そうと願っておられる。まず、私達の心にイエス・キリストの御心を現そうとされる。そして、イエス・キリストの御心をもって、体による実際の行動においても、イエス・キリストのご性質と生き様が現れるようにされる。
「信心のために自分を鍛えなさい」とあるが、信仰深そうなふりをするための訓練であれば長続きしない。それをやってしまうと、どうしても肉の頑張りになってしまう。
それどころか、パウロは、「結婚を禁じたり、ある種の食物を断つことを命じ」て(3節)、信仰深そうなふりをさせる「惑わす霊と、悪霊どもの教え」(1節)を警戒するよう教えている。このような宗教生活は「偽善」(2節)であり、聖霊の働きによるものではない。
聖霊の助けによって、見えない信仰が見える生活に現れるようになること、見えないイエス・キリストが、見えない御言葉が、私達の生活を通して見えるようになること、勿論、それは一朝一夕に出来ることではない。忍耐が必要である。では、「信心のために」どのように「自分を鍛え」ればいいのか。
第一に、「言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範とな」るために(12節)、「聖書の朗読と勧めと教えに専念」することである(12~13節)。聖書を読み、そこから教えを汲み取り、実践のために祈ることは、見えない信仰を見える生活に現す上で力になる。
第二に、私達の「内にある」聖霊の「恵みの賜物を軽んじ」ないことである(14節)。見えない信仰を見える生活で現すことは、私達の努力だけでは出来ない。聖霊の助けが絶対に必要である。
第三に、「自分自身と教えとに気を配」ることである(16節)。私達は、自分のやっていることと教えていることに食い違いはないか注意する必要がある。それこそが信心の本質である。
聖霊の思いと私達の思いが一つになること、聖霊の願いと私達の願いが同じになること、聖霊の思いが私達の生活に現されることを祈り求めていこう。
西原新生バプテスト教会
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