聖書日課 アモス書4章(新共同訳 旧約pp.1432-1434)
4章には、主なる神に逆らって罪を犯し続けるイスラエルに対して下された5つの懲罰が記されている。
第一の懲罰は飢饉と「欠乏」(6節)、第二の懲罰は干ばつ(7~8節)、第三の懲罰は「黒穂病と赤さび病」、「いなご」による作物の被害(9節)、第四の懲罰は「疫病」と戦争(10節)、そして第五の懲罰は「ソドムとゴモラ」に下されたような大災害である(11節)。注目すべきは、それぞれの懲罰の後に繰り返し記されている次の言葉である。
「しかし、お前たちはわたしに帰らなかったと/主は言われる」(6節、8節、9節、10節、11節)。
何という頑なさ! 何という愚かさだろう! これほどの懲罰を受けながら、イスラエルは最後の最後まで、悔い改めて主なる神に立ち帰ろうとしなかった。その頑固さには、本当に驚かされる。
しかし、考えてみれば、これは私達自身の姿でもあるのではないか。私達も何度も何度も同じ過ちを繰り返す者である。イスラエルの姿は、全ての罪ある人間の姿でもある。
しかし、そのようなイスラエルに向かって、主なる神はこう呼びかけられた。
「それゆえ、イスラエルよ/わたしはお前にこのようにする。わたしがこのことを行うゆえに/イスラエルよ/お前は自分の神と出会う備えをせよ」(12節)。
これは、主なる神の審判の警告であると共に、悔い改めて主なる神に立ち帰るようにとの呼びかけの言葉である。主なる神は、愚かで頑ななイスラエルを、決して見捨てず、諦めず、呼びかけ、警告し、救い出そうとされた。
主なる神を信じるとは、このような警告と呼びかけの言葉を聞き、日々主の御前にひれ伏し、悔い改めて主なる神に出会う備えをすることである。主なる神は、裁きではなく赦しの中で、呪いではなく祝福の中で、滅びではなく救いの中で、私達と出会うことを切に求めておられる。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの愛の御手の中に置いて下さることを感謝致します。
主よ、この社会、この時代には、悪意と欺瞞が満ち溢れています。人が人を傷つけ、死に追いやっても言い訳をし、自分を義とすることが当たり前のこの世。あなたの御子イエス・キリストは、このような人の世のために十字架にかかり、命を捨てられました。御子は叫ばれました。「父よ、彼らをお赦しください」と。
主よ、私もかつて人を傷つける道を歩いていた者でした。そのような私をあなたは憐れみ、十字架の血を注いで赦して下さいました。あなたは、私を引き寄せ、あなたの十字架の血に身を避ける者として下さいました。
今、全ての人が、あなたの十字架の血以外に、罪が赦される道はないということを知ることが出来ますように。罪を悔い改め、あなたに立ち帰り、罪を赦していただくことが出来ますように。愛をもって互いに助け合い、支え合う人間と変えられますように。
そのためにあなたが私にさせようとしておられることを、忠実に行うことが出来ますよう、力づけ、導いて下さい。
主よ、苦しめられ、絶望の中、死に追いやられた方を握って下さい。彼らにあなたの愛と癒しを注ぎ、永遠にあなたの傍に祝福して下さい。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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