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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 アモス書3章

聖書日課 アモス書3章(新共同訳 旧約pp.1431-1432)

 主なる神の選びは、特別なものである。主なる神が「地上の全部族の中から」イスラエルを選ばれたのは、あの人々でも、この人々でも、誰でも良かったなどというものではない。勿論、たまたまとか、何となくといった気紛れでもない。主なる神はまさしくこのイスラエルを選ばれたのである(2節)。

 だからこそ、主なる神は、イスラエルがたとえ罪に陥り、裏切っても、それでも彼らを憐れみ続け、彼らを見捨てずにおられた。それが選びというものであり、主なる神はイスラエルへの誠実を決して忘れることはなかった。

 勿論、だからと言って、主なる神は「罪」をそのままにしておかれることはない。罪は必ず裁かれる。しかも、イスラエルの場合には、尚更厳しい裁きが下される。それは彼らが選ばれた者だからである(2節)。特別な立場には特別な責任が課せられるように、主なる神にとってイスラエルは特別な存在であるからこそ、罪に対してもより一層厳しく取り扱われる。

 イスラエルの罪は、主なる神の選びと祝福に胡坐をかき、選ばれた者としての責任を蔑ろにしたところにあった。しかし、これは決してイスラエルに限ったことではない。全ての富む者、全ての祝福された者には、それぞれ果たすべき責任が課せられている。だから、もしその人が富や祝福に胡坐をかいて責任を果たさないなら、その責任を問われる時が必ずやって来る。何故なら、全ての富と祝福は主なる神から与えられたものだからである。

 イエス・キリストを信じる者は皆、主なる神に選ばれた者である。私達は、主なる神の選びの中で、特別に愛され、守られ、祝福されている。私達は、このような選びに入れられていることの意味を、どれほど深く理解し、どれほど深く喜び感謝しているだろうか。また、それと共に、選ばれた者として果たすべき責任を、私達はどれほど深く自覚し、どれほど熱心に果たそうとしているだろうか。その自覚と熱心さを失ったままでいる時、教会もまた、厳しく裁かれる。

「しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。もし悔い改めなければ、わたしはあなたのところへ行って、あなたの燭台をその場所から取りのけてしまおう」(ヨハネの黙示録2章4~5節)。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな御手の中に包み、御前に引き出して下さったことを、心から感謝致します。

 主よ、ユダの獅子と呼ばれたあなたの咆哮が聞こえるようです。罪を滅ぼすために戦われたあなたの叫び声を、全ての人が聞くことが出来ますように。そのために、私の声、私の手、私の足、私の心を用いて下さい。

「誰も滅んではならない」と言われるあなたの激しく熱い愛に触れられ、罪の中にある者があなたに立ち帰ることが出来ますように。

 踏みにじられた者を、あなたの背中に背負い、運んで下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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