聖書日課 レビ記22章(新共同訳 旧約pp.196-198)
22章には、主なる神への献げ物についての注意が記されている。
「主はモーセに仰せになった。アロンとその子らおよびイスラエルのすべての人々に告げてこう言いなさい。イスラエルの家の人であれ、イスラエルに寄留する者であれ、満願の献げ物あるいは随意の献げ物を献げ物として、焼き尽くしてささげるときは、主に受け入れられるように傷のない牛、羊、山羊の雄を取る。あなたたちは傷のあるものをささげてはならない。それは主に受け入れられないからである」(17~20節)。
特に20節では「傷のあるものをささげてはならない。それは主に受け入れられないからである」と述べられている。勿論、これは、主なる神が食べ物の好き嫌いにうるさい方であるということではない。では、どうして主なる神は「傷のないもの」を求められたのだろうか。いくつかのことが考えられる。
第一に、主なる神は献げ物そのものではなく、献げる人の心を御覧になる。私達は、自分が心から大切に思う人に贈り物を贈る時には、良いものを贈りたいと思う。その人に喜んでもらいたいからである。少なくともどうでもよいものを贈る人はいないだろう。主なる神への献げ物も同じである。
第二に、献げ物は、罪の赦しを求め、主なる神との和解と交わりを回復するためのものである。つまり、献げ物とは、主なる神への悔い改めの心、感謝の心の表明でもある。そのような心と思いをもって献げるものに、傷がついていたり、つぶれていてよい筈がない。
そして第三に、献げ物が究極的に指し示しているのは、真のいけにえである主イエス・キリストご自身である。だからこそ、傷のない、清い、生きたものを献げるべきである(ヘブライ人への手紙9章14節)。
父なる神は、私達の罪の代償として、尊い独り子を十字架に献げて下さった。そこに私達の罪の赦しと救いの道が開かれた。つまり、律法に規定されている献げ物は、人間が主なる神に献げるものである前に、主なる神が人間のために献げて下さったものである。このことを是非心に留めたいと思う。
西原新生バプテスト教会
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